風立ちぬ


風立ちぬ 茜差す空 高らかに 兜を脱いで 岩戸開きぬ



ひふみ神示 補巻 月光の巻 第七帖 

大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。

多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。

ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。

神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。

遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。

よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。 

区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。 

人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。 

奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。



ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第二帖 

親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。

鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。

闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。

酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト心になりて呉れよ、神頼むぞよ。

盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。

配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。

人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。

冬の先が春とは限らんぞ。

⦿の国を八つに切って殺す悪の計画、⦿の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。



ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第十六帖

知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。

日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるかも知れんぞ。

神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。

富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。

これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。

江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。



ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第二十二帖 

岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二(アイカギ)、、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。一二(ひつくのかみ)




ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第十二帖

御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来てゐるのぞ、この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。

これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見れば分るであろが、汚れた臣民あがれぬ神の国に上がってゐるではないか。

いよいよとなりたら神が臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。早う神の申すこと、よくきいて生れ赤子の心になりて神の入れものになりて呉れよ。

一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神には世の本からの神の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、神にはかなはんぞ。



ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第十八帖

神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな。

これから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。

それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、何もかなふのぞ、神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。



ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第四帖 

この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。

百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。

火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、知恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。

天の神様 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。



ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第十六帖

今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示(ふで)よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。

神は天からと宙からと地からと力(ちから)合はして、神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、今では手柄立てさす、神の御用に使ふ臣民一分(いちぶ)もないのざぞ。

神の国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永遠(とことは)につづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一等ざぞ。人間の知恵でやれるなら、やって見よれ、あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思ふやうにはなるまいがな、

神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さへ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位 分って居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分らんか。



ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第二十三帖 

世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。

この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。

江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。



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