グローバリズム(共産主義)に不要な【柱】




戦後、GHQが日本に来てから現在に至るまで、教科書から様々なものが消されてきた。

戦後すぐに消されたと言われる【楠木正成公】

皇居に銅像が建つほどの人物であるゆえ消された。


そのようにして教育から様々なものが消されていった。

日本人が日本人としての自覚をするための【柱】となるもの。




時の権力によって歴史は常に上書きされてゆく。

そして、現在の日本の権力者は「日本人」ではない。

明治以来の権力者は第二次大戦の敗戦で「管理者」となった。

そして、その「管理者」が裏切らないよう「監視者」を配置した。


検察内に置かれた「特捜部」という政治家や富豪を対象とした「CIA」の「監視者」

宮内庁という「天皇」の「監視者」

そして「日教組」「全教」といった「教育」の「監視者」

第二次大戦中から日本を「敗戦」へと導いた「学閥」

これらは「アメリカ」という国を乗っ取ったグローバリストたちである。


これら、グローバリストという「さらなる権力」から与えられた「管理者」という地位に甘んじながら、隙間を見つけて「日本を立て直す」ということは出来ない。

そうして出来ないまま今日まで来ている。



一時期、教科書から「聖徳太子」が消えた。

その前に「聖徳太子は居なかった」「聖徳太子は外国人」という情報がばらまかれ、広がった後「教科書」から削除する。

これを行っているのが「学閥」の人たちである。

共産主義思想の権化となり、日本を敗戦に導いた彼らは、自分たちの「理想」のために教科書から日本人の「精神的支柱」となるものを廃している。

昨今では上杉謙信も武田信玄も教科書から消されようとしている。

「川中島合戦は実は無かった」という情報をばらまき、上杉謙信は略奪を重ねていた「義の武将」などではなかったという情報をばらまき、教科書から「消去」する段取りをしている。

武田信玄はかろうじて残すようであるが、上杉謙信は何としても消したいのだろう。

「楠木正成公」と同じく「軍神」である。

毘沙門天の加護を受けた「現人神」なのであるから。


そして、代わりに歴史教科書に登場するのは「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」である。

日本人の精神的支柱である「気高さ」というものを、とことん消し去りたいわけである。

なぜなら、「それを最も恐れているから」である。



そうやって、一つ一つ着実に柱を抜き取られ、最後の「大黒柱」にまで手が届こうとしている。

だがそれは為政者が「柱」を曲げたのが原因であり、その「曲げた」ところを狙われてしまうわけである。

「仕方なかった」

そんな心の弱さが結局のところ「付け入る隙」となるのである。


「統一教会」という「曲げた柱」を伝って、大黒柱のある本丸に侵入されるのである。


彼らが日本人から排除したいもの。

それは【神】である。



手段に「穢れ」が混じってしまえば、そこからさらに「穢れ」が広がる。

自分たちが撒いてしまった「種」が、自分たちを苦しめる「芽」となって還ってくるのである。


統一教会という手段を使ったがために、本丸である「日本会議」に「飛び火」させようと、「放火魔」たちが情報をばらまく。

そして、日本会議の柱である明治維新からの「尊皇攘夷」の中心となる「神社庁」。

そこに「カルト」の火を「飛び火」させようと「放火魔」たちは情報をばらまく。


共産主義にとって「神」は不要である。

「学」こそ全て。

そんな世界の下地はほぼ出来ているのではないか?

「賢さ」がもてはやされ、「愚鈍」であることを馬鹿にされ・・・

テレビでもネットでもそれが主流になりつつある。

「馬鹿」か「賢い」かの二択の中で、子供たちは息苦しさを抱える。

毎年出生する子供は減っているのに、不登校になる小中学生は毎年増加している。

きっと、私が今小学生なら確実に不登校になっていただろう。

40年ほど昔でさえ高校中退しているのだから。

50年ほど前でさえ幼稚園を拒絶して脱走を繰り返していたのだから。

今なら「精神疾患」として薬を投与されていることだろう。

そう、今の子供たちは本当に「そうされる」のである。

今の子供の息苦しさ、空しさ、やるせなさは計り知れない。

そのうえさらに「マスク」を強要され・・・

ただ「生きる」ために「従う」ことを【調教】されているのである。


だが大人たちは「自分」ばかりにかまけて思い至らない。

言われるままに病院に子供を連れてゆき、言われるままに薬を飲ませ、言われるままに「みんなと同じにしろ」と叱る。

「みんなと同じ」でない者は「病気」であり「馬鹿」であり「存在意義」を認められない。

だから子供は従う。

従わなければ生きられないから。


調教者にコントロールされるまま、子供を調教する大人たち。

ここまでくれば「そろそろ仕上げだ」といわんばかりに、もはや「あからさま」に隠しもせず行動を起こし始める。

ちょうど「星の巡り」が来ている。

だから一気に攻めかかる。


攻めかかられてももはや抜け殻。

すがる【柱】も無い。



人は【柱】があるから踏ん張れる。

揺るがぬ【柱】があるから自分が揺らがぬ。

その【柱】を抜かれてしまったら、もはや「抵抗」するための「支え」が無いのである。



騒がれる天皇家のスキャンダルは「現人神」を地に落とすための謀略である。

日本人の精神的支柱となるものを「廃する」ための謀略である。


こうして【柱】の象徴となるものは次々に廃されてゆき、やがては「精神性」や「高潔さ」「気高さ」など「幻想」という世界となる。

一般人より一歩先行くはずの「スピリチュアル」の世界でも、歪んだ「情報」がばらまかれ、人はそれを追い求めて【柱】を失ってしまっている。

【神】の名を宣いながらも「高潔さ」「気高さ」などは微塵も無い【神】を【神】と崇め、自らの欲求に応えるのが【神】と位置づけてしまった。

「引き寄せの法則」という甘い蜜に誘われて、その「甘さ」の虜となった者たちが、さらに「甘さ」を広げてゆき、「精神的糖尿病患者」だらけの世界となった。

【神】の名を「削り節(出汁)」にして、「欲求」を満たすための「砂糖水」をばらまいて・・・・



『ひとは善いことはいくらでもしようと思えばできるのだが、悪いことをやめるのは難しいものだ。』

島津家の家訓のような言葉であるが、その通りだと思う。


「甘いもの」はやめられない。

それは動物の「本能」に根ざしたものでもあるからだ。

だから心が身体に引きずられる人は、「甘い言葉」がやめられない。

「食べてない」と言いながら、毎日「甘いもの」を口にしているように、「甘い言葉」を耳から補充し心に取り入れてゆく。

だがそれは「ひととき」の至福であり、やがて薄れて消えてゆく。

消えたときの「喪失感」に急かされて、再び「甘さ」を求める。

その繰り返しの「無限ループ」から抜け出せず、「辛いもの」「苦いもの」も食べてると言いながら、ふたたび「甘いもの」を接種する。



この「スピリチュアルな糖尿病」から抜け出せず、「甘さ」に浸り、「喪失」を恐れ・・・

未だ「上がれず」に「上がったつもり」に浸る。

「みんなで浸れば嘘も真実」と言わんばかりに、そんなところへ群れてゆく。

これを「神の眼」から見れば「何をやっているんだか・・・」となる。


自ら「溺れ行く」者は、もはやどうしようもないのである。



【柱】を失えば簡単にこうなる。

その「前例」を「スピリチュアルリーダー」達は率先してやってしまった。

それに気付いて改心した「オラクルカード」の発案者の言葉にも、聞く耳を持てないほどに「中毒」になってしまった。

その「中毒」の一端を担ってしまったことに気付いた彼女は、よく抜け出せたなと思う。

心の中にある【柱】に気付いたのかもしれない。



【柱】である「精神的支柱」とは、それほど大切なものである。

「意識を高く」

「波動を高く」

「エネルギーを高く」

それらは元である「気」の「高さ」そのもの。

それを「気高い」というのである。


「気高さ」という【柱】を失った人々は、「高さ」がわからなくなる。

【柱】が無いから『天地』がわからず、上も下もわからず、ただ「頭」が「上」だと思うしかない。

しかし、逆立ちしていれば「頭」は「下」である。

だから「上がっている」つもりで「下がって」ゆくばかり。


以前、スピリチュアルのイベントに何度か出たことがあるが、そこで2度ほど「小さな魔女」に会場の風景の『天地逆さま』の景色を見せられた。

それに気付くと「元に戻る」のだが、思うにあの会場自体が「天地逆さま」の集まりだったと思う。

皆が「逆さま」に気付かない。

なぜなら「逆立ち」状態だから。

魔女からすれば、あの会場では私の方が「逆さま」だったのだろう。



日月神示などで「天地逆さま」とよく出てくるが、まさにその通りの現象を垣間見た。

【柱】を失うから「逆さま」に気付かなくなる。

ということである。



日本人は着実に【柱】を失っていっている。

排除されていっている。

しかも同じ「日本人」に・・・・

だが、彼らの【柱】は「共産主義」という「グローバリズム」である。

それは【神】無き世界。


まことの【神】と【悪神】との最終決戦なのである。




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