スピリチュアルな気付き
例えば、やがて沈むであろう「船」から逃げ出すネズミは、何を『感知』して逃げ出すのであろうか?
まだ出航もしていない港の船から、どうして「危機」を察知するのか?
例えば、地震が起きて山が崩れるのを察知した森の動物たちは、何を『感知』して逃げ出すのであろうか?
これがスピリチュアルの「気付き」である。
それは
サバンナの草食動物は肉食動物の「香り」を『感知』し、「気配」を『感知』し、「目視」することで距離による危険度を測っている。
肉食動物は草食動物の「残り香」を追いかけ、見つけたら自らの「香り」が相手に届かないよう近づき、「気配」を気取られないようゆっくりと近づき、自分が獲物を仕留められる「絶対距離」まで詰め寄る。
そこへ至るまでに気付かれ逃げられれば諦める。
そういった日常の中の「研ぎ澄まされた五感」があって、それらが総動員されて初めて「スピリチュアルの気付き」が得られるのである。
地震が起こるとき、地震の神はそれを告げる。
だが何を言っているのかはわからない。
人間でもわからない言葉である。
実際にそれを聞いたからわかるが、喋ってはいるが一体何を言っているのか理解不能な言葉であった。
だが「告げる」という事実がある。
そんな言葉ならぬ言葉を動物たちは『感知』して、「逃げる」必要性を判断する。
切羽詰まった「響き」があるなら逃げ、そうでも無いなら「警戒」に留め置く。
船が沈むのも同じ事。
その船が沈む「未来」を知るものの「言葉」を『感知』してネズミたちは逃げ出す。
これがスピリチュアル(精神世界)から発せられる「言葉」への『気付き』というものである。
迫り来る危機に『気付かない』人々
獣の香りが周囲に立ちこめ、殺意の籠もった気配に取り囲まれ、攻め寄せる足音は次第に大きくなり、すでに目視できるところにある。
なのに気付かない。
眠ったままで夢を見ている。
「目覚めた」夢を見て、心地よいまどろみの中にあって、起こす者を厭い、夢へ誘う音楽で耳を塞ぐ。
眠ったまま食べられたほうがいい・・・と言わんばかりに。
『起こして起きぬ者は放っておけ
何年かかっても起きることは無い
起きる者と眠る者
二つに分けて先へ行け
起きた者だけ連れて行け』
それが今の私に来ている「導き」である。
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