【神】の根底 【愛】の根底
日本人の【神】の概念と外国人の【神】の概念は根本的に違う。
それゆえ【愛】についても【平和】についても根本的な概念が違う。
だが日本人はそれを理解しない。
だから間違うのである。
また、「外国」と言っても国々で全く違ってくる。
その違いは突き詰めていくと【神】の違いそのものである。
欧米諸国の【平和】の根底には昔から「植民地支配」というものの土台があり、それは詰まるところ『奪う』という土台の上に【平和】が乗っている。
そして、その『奪う』頂点にあったのが『王家』というものである。
奪い奪われを繰り返す歴史の中で、彼らの「国」は常に『塀』に囲まれた世界であった。
『塀の中』こそが愛すべき世界であり、『塀の外』は忌むべき世界なのである。
その世界で息づく【神】は『塀の中』の【神】であり、けっして『塀の外』の【神】ではない。
ゆえに【神】自体が『塀』を生み出し、『塀の外』の【神】を排除していった。
そうして【十字】の『塀』が出来上がり、その【神】は『塀の内側』の【愛と平和】を約束し、『塀の外側』はその『礎(いしずえ)』であることを「許した」のである。
だが、日本の【神】は「地球全土」「宇宙全体」の【神】である。
草木一本に至るまで、自然の山河、海、空、雲、星々に至るまで【神】が宿る。
そこには『塀』などという概念は無い。
ゆえに「城」に『塀』はあっても「国」にはけっして『塀』は無い。
だから日本人の思考の中には元来『塀』など無かった。
「奪う」という概念も無く、「支配する」という概念も無かったのである。
その【神】の【愛と平和】は生きとし生けるものだけでなく、在るべく在る全てのものに向けられる。
『塀の内外』などという分け隔てのない「平等」であり、それは「人」であれ「草木」であれ等しく分け与えられる【愛】である。
ゆえに『奪う』を許さない。
日本人はその根本的な『違い』を知らず、「言葉」が同じというだけで【愛】を間違い【平和】を間違い、ついには【神】をも間違い始めた。
いつしか日本の【神々】に『塀』の概念が植え付けられ、【神々】を分け隔てし始め、人々を分け隔てし始め、「平等」の概念も失い始め、「差別」と「区別」の違いもわからなくなり、【愛】と【情け】の分別もつかなくなった。
西洋から輸入した『愛と平和のスピリチュアル』には『塀』の概念が根底にある。
「平和」も「愛」も『塀の内側』にあってはじめて成立する。
その土台にあるものは『奪う』ということ。
その『奪う』ことで成立する土台の上に建った如何なるものも、日本の【神々】の【愛】とはほど遠い。
それに気付かず【愛】と宣いながら『奪う』ことをする者の如何に多いことか・・・
誰かの『苦』の上に成立する『楽』を平気で追い求め、「苦」を負う『塀の外』は見ないようにして、自らの『楽』を追い求める様は、もはや日本の【神々】に見放されていることにも気付かずに、悪鬼、四つ足、大蛇を【神】として崇めていることにさえ気付かない。
いくら【愛】と【平和】を声高に語ろうとも、その根底にある土台は『奪う』なのである。
だから【愛】の名の下に奪い【平和】の名の下に奪うのである。
そして、奪いながら「与えた」と思い込んでいる。
ゆえに『改心』出来ぬのである。
日本人の心にいつしか「奪われる」という心根が植えられた。
ゆえに心に『塀』を持った。
『塀』の内と外
心の中で『争い』を続けている。
元来有りもしない『塀』を自らの心に生みだし、有りもしない『恐れ』を抱き、有りもしない『敵』を生みだし、無くてもいい『争い』を起こす。
心の中で何と争っているのか?
何を恐れ、何と戦い、何から逃げ、何を求めているのか?
未だ「幻想」から逃げるための『道』を歩いているなら、はやそこから外れることである。
もうすぐ、外れるための時間は終わる。
ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第一帖
二二(富士)は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。
いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労であ る。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来るは神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。
戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。
さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。
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