神一厘の経綸 ~奥宮・櫻殿よりの御言 《癒奏術・水月抄》
かつて【撞賢木厳之御魂天疎向津媛】は『御言』に添わなければ『天皇』であれその命をもって「事の重要性」を教えた。
人はそんな事実を知っていながら、未だ神の「情け」に縋る。
私の元に現れた【瀬織津姫】は、未だかつて『人の命を救う』『人生を救う』『世界を救う』などと一度も語らない。
かの神が言うのは『魂を救う』の一点のみである。
かつて命を落とした『仲哀天皇』は、その『命』をもって『神の経綸』を完成へと導いた。
それは「神への手柄」となり『魂が救われた』ということである。
あのとき仲哀天皇が亡くならず三韓征伐も起こらなければ、その後の日本、世界は大きく様相を変えていただろう。
残された神功皇后は「生きて御用を務めた」ということ。
どちらも経綸の御用である。
それが『神の経綸』であり『神の御言』である。
ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 十三帖
・・・・・・殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。ますぐに神の道に進めよ。・・・・・
悪神の 仕組みの裏に 神経綸
成りた時こそ 天地が返る
天地逆さの世の名残 登れば降り 降れば登る
生きて御用をするのなら 頭を垂れて降るがよろし
死して救われんとするならば 自業自得に死して改心
経綸の中で死するなら、手柄携え神上がり
神の愛は御魂への愛 我が分け御魂達への愛
神の御山に登り来たりて 三六九の世界を自在に生きる
四三の世界に迷わぬように 掃除洗濯なされませ
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