魂の呼び声と黄泉還り 《癒奏術・水月抄》




魂の呼び声に気付き、目覚めた者は多いだろう。

されど、多くの者は「二度寝」で再び夢の中へと戻って行く。

そして、一度「目覚めた」という『過去』の出来事を握りしめ、目覚めた夢へと入って行く。


魂の呼び声は「起きる」ことを求めているが、多くの者が「起きる」ことを拒み、「目覚めた」という過去の一点をもって自分すら騙して二度寝をして「目覚め」の夢へと入って行く。


自分を騙した時点ですでに「自分を曲げた」わけである。

魂の呼び声に耳を塞ぎ、「過去」を生きることに囚われ続ける。

そして、自分を騙している事実から逃げ続ける。


目覚めたとは言いながらも、起きて立ち上がることをせず、歩き出すことを拒み、慣れ親しんだ「夢」へと帰る。

「起きている」と布団の中に潜り込んで応える子供のように・・・・・


あっちふらふら、こっちふらふら・・・

「逃げる」理由を探し続け、逃げ道に没入してゆく。




目覚めた者と起きれぬ者はどんどん乖離し行く。

一度目覚めただの、目覚めたつもりだの、それらは「嘘」の上に立っている。

未だ過去の「嘘」の土台に乗り続けている。

未だ「嘘」で出来た「箱庭」の中で、自分を騙す者同士戯れている。




箱庭の「夢見る亡者」の世界は、過去へと押しやられ行く世界。

そこから真に抜け出した者だけが、新しい世界を創造し行く。




せっかく魂の呼び声に気付けども、いとも簡単に魂を手放して過去へと戻る。

よほど「嘘の世界」が好きなのである。

「嘘」は「楽」であるから。

そんな「嘘」で「楽」な世界が「楽園」なのである。




「嘘」を付き、「嘘」を暴き、「正義」に酔いしれ、「悪」に魅了され、「善」に陶酔する『嘘の世界』

その「箱庭」から抜け出そうとしない。

「魂」は抜け出すことを催促するが、布団にくるまり「起きている」と魂に嘘をつき続け、その嘘を正当化するために理由を探して、あっちふらふら、こっちふらふら・・・・




そんな亡者の「箱庭世界」はどんどん離れ行く。

地球の次元は先へ先へと進み続ける。

「五六七の世界」へと上昇し進む地球と、目覚めて再び夢へと還る「四三(黄泉)還り」の箱庭世界。

自分が「四三(黄泉)」にいることさえ気付かず、黄泉の霊を「神」として戯れる。

「現実」を見ていると思いながら「虚実」に振り回される。


自分を騙している限り、自分の足場は「嘘」である。

自分の柱は「嘘」である。

「嘘」を柱としているのに、「嘘」の世界から抜け出せるわけはない。


抜け出そうとして「魂」を探しても、もはやどこに行ってしまったもかわからない。

「嘘」で自分が散らかりすぎて「誠」が何かもわからない。

それは「自分を騙した」からである。

自分で自分の眼を塞いだからである。

魂に気付く、真実に気付く「眼」を塞いだからである。

自分で自分の「眼」を塞いだ時、目覚めを告げた「艮の金神」は塞がれたのである。



「艮の目」を塞いだ時「眼(まなこ)」は塞がれ岩戸を閉じた。

自ら岩戸を閉じたから、神はけっして現れない。

神は「誠」がなければけっして現れない。



「誠」とは「嘘」のない真澄の心


自分で自分を騙している限り、何をしようと誰かを「騙している」のと同じ事。

「嘘」の柱に寄り添い、「嘘」の大地に立っている限り、「誠」は離れ行き、当然【神】も離れ行く。



四三と五六七は進む方向が真逆である。

逆立ちした四三の世界の「天」は何処や?

ゆえに二次元を崇め出す始末・・・

二次元の神を創造し、二次元の神を祀る。

四三(黄泉)で語られる神々は、二次元的な神ばかりで、人間以上に「単調」である。

ただただ自分に都合のよい神を求め、自分に都合のよい神を想像する。

だから「霊懸かり」となる。

「黄泉(四三)」にひしめく「霊」が「都合のよい神」を演じる。

そして気付けば「霊懸かり」ばかり・・・・


されどそれでも自分を騙し続ける。

騙して騙して嘘で逃げ切ろうとする。

自分を欺き、他人を欺き、欺く者同士「嘘」の柱に寄り添う。





ーーー目覚めて起きて立ち上がり歩き出す者だけ来られよ

嘘を正当化するために来る者は斬り捨てるーーー


瀬織津姫の御魂は【剣】を携え「祓いに祓う」

大小の剣と薙刀を常に携えている。

【嘘】を握って放さぬ限り、神への門は一切通れぬ。

それが「理(ことわり)」なのである。



こう書くとまた「二次元的」な神を想像し妄想を膨らませるのだろう・・・・・