神・霊・身 三位一致の癒奏術




癒奏術は元々は身体を癒やすために開発した施術です。

ボディケアの中に整体や経絡、ヨガなどの技を取り入れ、さらに施術と同時に音楽やアロマなどの香りの効果も相乗させるという施術が根本にあります。

その土台の上にエネルギーへのアプローチだけでなく、身体と重なる「霊体」に対する施術も共に行うようになったものです。



身体の不具合と霊体の不具合は重なるように存在します。

霊体の不具合も身体同様、外的要因だけでなく「内的要因」にも起因しており、内的要因が外的要因を引き寄せることも多い。

それは「心」の在り方が起こしていると言えるでしょう。


「心」の在り方によって日常の行動は変化します。

それが身体にも霊体にも影響するということです。


また、身体は霊体に影響し、霊体は身体に影響します。

そして、それらは当然「心」にも影響します。

ですから、身体だけ、霊体だけ癒やしても、また元通りとなるわけです。


結局のところ、その「心」の中にある「思い」が「不具合」を起こすため、身体や霊体のトラブルを招いてしまっているわけです。



では「心」とは何なのか?

それがわからなければ決して解決することはないでしょう。



人は「頭」で考えています。

ですが「頭」が「思い」を発するわけではありません。

思いを発する場所・・・

それが「心」です。

では頭は何をしているのかというと、「思いを言語化」しているだけです。


「思い」は本来「言語」ではありません。

「思い」を言語化するために思考しているから「頭が思う」と勘違いするわけです。



では、その「思い」は如何にして発動するのか?

それは目の前の現象に対する「反射」です。

しかし、よくよく観察すれば、それだけでは無いことがわかります。

その「思い」が発するところを突き詰めていくと、様々なものが観えてきます。



本来の自分である「魂」からの衝動

さらに「それ以外」の衝動なども「心」に現れています。


では、自分以外の「衝動」は何なのか?

そこには、自分以外の「思い」のエネルギーがあったりします。

ですが、自分の「思い」のように「心」に現れてくる。


自分の「心」の中にある「思い」は、すべて自分の「思い」ではない。

その中の一つが「自分の思い」です。

その見分けが多くの人にはつかない。


でも、それらの様々な「思い」を目をこらして観察すれば、やがてそれらの姿が見えてくる。

自分の魂とそれ以外の「思いの衝動」が「違うもの」だということが観えてくる。

そこには様々な人の「思い」があったり、この世ではない者達の「思い」があったり・・・・

そして、その中に『神』の「思い」もある。



こうやって自他の「思い」が見分けられるようになったところで、他者の「魂」に『神』の意思を結ぶという出来事が起こるようになりました。


人は『神』から遠く離れてしまった。

だからそれが「必要」だということなのでしょう。



人の「魂」だけを体から分けるために身体への施術と霊体への施術を施して「縛り」を解いて、純粋な「魂」だけを神の元へお連れする・・・

そこまでが癒奏術として私が行う技です。


あとは「神」に委ねる。



神・霊・身 三身一致の癒奏術とは、簡単に言えばそのようなものです。