コオロギ化され行く人類~選民思想のメッセージ 《癒奏術・水火土の章》









コオロギコオロギと騒ぎ出してから「何故コオロギなのか?」という疑問が付きまとっている。

明らかに「コオロギで無ければならない」何かを含んでいるのがありありとわかるほどの押し込みようである。

その答えは恐らく「栄養学上」には無く、別の所にあるはずだ。




コオロギは直接交尾をしているようで実はしていなかったりする。

「精嚢」というものをオスのコオロギがメスのコオロギのお尻にくっつけて、それがやがてメスの体内に取り込まれてゆくわけであるが、この「精嚢」をメスのコオロギは体内に取り込まずに食べたりする。

そうして自らの「糧」とするためにオスのコオロギの「精嚢」を求めたりするわけである。

そうして自らの滋養とした後、一匹の「精嚢」を体内に取り込んで産卵をする。



コオロギを食するということは、このような「在り方」そのものも人間に「取り込んでゆく」ということである。

ただ単に「栄養素」としてしか見ていなければ見落とす「大事な部分」である。




そんな「コオロギの習性」があることがわかり、これが「含まれたメッセージ」なのだと気付いた。


「選民思想」


そういえば「ウイグル地域」を占領した中国は、女性に「避妊」をさせたりしていたし、それ以外にも様々な手立てがある。




コオロギだけでは無く、様々なところで様々な形で「選民」は行われているだろう。

そして、そんな「選民」に選ばれようと必死になっている者達も多い。

それらが世界を歪めているわけであるが、ここ数年で大きな『渦』を起こし始めている。

その始まりが最も顕著に現れた「コロナ」騒動。

そして「選ばれよう」としている者達のあからさまな行動、言動。



「選ばれよう」としている段階で既に「選ばれていない」ことに気付けないのだろうか?

その愚かしさは日を増す毎にあからさまとなってゆく。

そして、その『渦』も大きく広がってゆく。



自分の生き方を「選べない」ものは、自ずから「選ばれよう」とする。

それが「自分を殺す」生き方だとは気付かずに・・・





ひふみ神示 上つ巻 第三十五帖

死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩(たと)へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代に致すぞ、とは(永遠)の神代に致すぞ。細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国の民とは云はれんぞ。外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。何も心配いらんから、お山開いて呉れよ、江戸が火となるぞ、神急けるぞ。