『ウガヤフキアエズ朝と出雲と大和』 《癒奏術・鋼の章》




施術を休んでいると、自然と「探偵モード」が湧き出してくる。

上からの導きもあって自然とそちらへと進んでゆく。



出雲の名


出雲とはこの写真のような「叢雲」であり、各々の「王国」を現わしている。

大小さまざまな雲があるが、みな同じ「層」に存在している。

そして「天叢雲劔」は「叢雲」を束ねる「軸」である。





ウガヤフキアエズ


実は「ウガヤフキアエズ朝」というものが『出雲』と呼ばれているものであり、それは「国譲り」などという安易な権力移行など行われておらず、ウガヤフキアエズ朝が存続していたのも「国譲り」とされている頃より「ずっと後」である事実が見えてくる。


「ヤマト」という言葉はウガヤフキアエズ朝から使われていた言葉で、だから魏志倭人伝に出てくる「邪馬台(やまと)」を「ヤマタイ」であるかのような「印象操作」が行われたわけである。

「スメル」を「シュメール」と呼ぶようにしたのと同じ原理である。


この「魏志倭人伝」のころはいわば「ウガヤフキアエズ朝末期」頃であると捉えられる。

そして「魏志倭人伝」に「卑弥呼」と書かれたヤマトの女王の後継者である「台与(とよ)」姫は、まだ推測ではあるが「ヤマトタケル」に『暗殺』された「川上梟帥(カワカミタケル)」の兄弟である「淀(豊)姫」と推測される。


そしてこの「淀(豊)姫」は「神功皇后」の物語に登場する「豊姫」であろう。


この「豊姫」が「ウガヤフキアエズ朝」最後の女王なのだろう。



ウガヤフキアエズ朝から引き続き残ったいわゆる「賀茂」は一切「口をつぐんだ」ということである。

それゆえ「事代主神」は一切言葉を発しない。

ただ、【神】と【人】の在り方を『継続』させるため、それは【神事】を継続させるために残ったということであろう。


神と人の「在り方の型」というものがある。

それは日ノ本である絶対の条件。

それを全く「無い」ものにしてしまえば、この世界から【神】は完全に「排除」されてしまい、全く異質の【神】が支配する世界となるからである。

それゆえ『天の逆手』をうって『青柴垣』に隠れて「神人の型」が絶えぬようにしてきた。



ヤマトタケルが暗殺した「カワカミタケル」は、当時の「大物主(物部の棟梁)」であったのだろう。

だから「攻めて破る」ことは出来ないため「暗殺」という手段を用いた。




神功皇后


仲哀天皇は何故亡くなったのか?

という疑問が湧き出してくる。

「神の言うことを聞かなかったから」ということになっているが、はたして本当か?

ちょうどこの時仲哀天皇は「熊襲討伐」に向かっていた。

「熊襲」とは前述の「川上梟帥(カワカミタケル)」の別名「熊襲タケル」であり、いわゆる「熊襲」の棟梁である。

おそらくこの時代の「最強軍団」であろう。

そこで「敗北」したのではないか?


そこで神功皇后は「援軍」を求めて「三韓征伐」という名の「援軍依頼」に行ったのだろう。

そして多くの高麗人や新羅人、百済人を連れてくることに成功した。

代償として「日本」からの「独立」を差し出したとも考えられる。

そして【天日矛】という武神のような名の神を造り、ひとつの勢力とした。




武内宿祢


ヤマトタケルの時も神功皇后の時も、すべての「采配」を行ったのが「武内宿祢」である。

おそらくこの両者は同時代、もしくは非常に近い時代の出来事であるはずだ。


「閉じた者が開かねば岩戸は開かぬ」


だから第73代武内宿祢氏は自ら「最後の武内宿祢」として様々な「隠し事」を開いていったのだろう。

いっぺんに全部開くことは出来ないため、「岩戸の隙間」を造ってくれたのだと思う。




そうして「最後の女王」が亡くなると共に「ウガヤフキアエズ朝」はか細く消えていった。





奈留多(なるた)比売


カワカミタケルの母であり、淀姫の母でもある「奈留多比売」

この一族を祀る神社が福岡県早良区にある【諏訪神社】である。

さらに、「奈留多比売」を祀る【産宮(さんのみや)神社】が福岡県糸島にある。

この「産宮神社」を見ればわかるが、「ウガヤフキアエズ命」と「玉依姫命」を相殿に祀っている。

そして本殿の「奈留多比売」は別名【蹈鞴五十鈴(タタライスズ)姫命】ともなっている。


彼女は【豊玉姫】から連綿と続く「龍宮」の姫である。


そして大事なのは「彼女もヒミコであった」ということである。


「ヒミコ」とは「日巫女」であり「火水子」である『女王』の名称である。

この「奈留多比売」の名は記紀から完全に消されている。

恐らく・・・・・

魏志倭人伝に出てくる『卑弥呼』はこのお方ではないかと思われる。


さらに

この方のもう一つの名が【八坂刀売(ヤサカトメ)】

なぜこの名なのかはわからないが「贄(にえ)」というか「祟りを恐れて」後からつけられたのではないかとも考えられる。

八裂刀女(ヤサカトメ)

そんなイメージだ。

奈留多の「奈」の字は「生贄」の象形文字である。

かつての「大和国」が「奈良」と名付けられたのも同じであろう。





建御名方神


これも「一人の神名」ではなく「建(タケ)」に象徴される「武」の系統の『総称』であると思われる。

つまりは「ウガヤフキアエズ朝」の「物部(モノノフ)」達ということである。

「建」の「御名」を持つ「方(人)」ということである。


そして「女王」は【豊玉姫】から連綿と続く【龍】の系譜である。

それを『海』から引き離すことで力を奪う。

そのために「諏訪」の地が選ばれたのかもしれない。



そして多くのモノノフ達も最終的にここへ追いやられてゆく。

物部守屋がそうであったように、かつて頑強に抵抗した「ナガスネヒコ」もこの地へ追いやられた。

だから諏訪の地には「足長・手長」という「ナガスネヒコ」一族の神も祀られている。


つまりは、「物部守屋」を最後に「ウガヤフキアエズ朝」の系統を完全に消滅させたということであり、そこで晴れて「現ヤマト政権」が完成したということになる。

だからこそその時代に「記紀」が編纂され、堂々と「新しい歴史」を浸透させることが出来るようになった。



だが、そこでもやはり頑強に抵抗したのが「賀茂家」の者で初代修験者となった『役小角』である。

しかし、大勢はもはや決している。

それゆえ彼の抵抗も最終的には収束していくこととなった。





梅の花


産宮神社の神紋は「梅の花」である。

確か「織田家」の発祥である「劔神社」も「梅の花」であった。

劔神社へ行った際、奥へ導かれたその先にあったのは『忍熊王』の祠であった。

忍熊王と言えば「仲哀天皇」の御子であり「神功皇后」に攻め滅ぼされたわけである。

「忍熊王」には兄弟がおり「香坂王」という。

どちらも攻め殺された。


おそらく「熊襲(くまそ)王」と「香久山(かぐやま)王」の意ではないかと思われる。

「熊襲」は「カワカミタケル」の系統

「香久山」は「ナガスネヒコ」の系統

どちらも「ウガヤフキアエズ」の系統である。


「三千世界 一度に開く 梅の花」





「出雲朝」とは「ウガヤフキアエズ朝」

それは、魏志倭人伝からもわかる通り、多くの「王国」を「神人」の「巫女」が束ねた世界である。

「統一国家」などという概念自体がそもそも無い。

それを最も強くもたらしたのが「秦の始皇帝」から流れてきた系統であろう。


それゆえ「ヤマトタケル」「神功皇后」と続いて「統一国家」という「概念」に基づいて動き始めたのだろう。

世界は、大陸は「統一国家」という「国家拡大競争」に突入していた。

それゆえその「概念」に侵略されたといった方が妥当であろう。


「統一」というのは本来「手段」であって「目的」ではない。

だが、概念に毒され侵されたことで「統一」が「目的」へと変質していった。

そうなると、その「目的」のために今度は「様々な手段」が入り込んでくる。

「手段を選ばず」というふうになってくるのだ。

それゆえ「暗殺」がまかり通り、「裏切り」も茶飯事となってくる。

日ノ本を護るということは、様々な「護るべき」ものがあったはずであるが、本来の目的は薄れ手段が目的化することで、最初の「軸」は歪む。

それは、目的よりも手段の方が「目の前」にあるからだ。



では、「ウガヤフキアエズ朝」もやはり同じであったのだろうと思う。

「軸」が歪んでいたために「護り切れなかった」のだろう。

そんな中で頑強に「軸」を持っていた「熊襲」と「香久山」は、それゆえ「頑強」であったのだろう。

しかし、それ以外の王国がそうでなければ、まとまりは無くなりかえって孤立してしまう。





建(タケル)の系譜


偶然か必然か、「建(タケ)」を名に繋いだのが「武田」である。

信玄公は目に見えないものに導かれるように「諏訪」へ上がり、「諏訪勝頼」という子を生(な)した。

だがやはり「諏訪の地」からは出ることはかなわなかった。

呪いか、策謀があたのか・・・・

当然、現朝廷が最も恐れる「血」である。

やはり、それを簡単に外へ出すわけがないだろう。


ちなみに素戔嗚命は「建」に「速」も付随する。

その強さは「迅速」で「頑強」という意である。




飯綱権現


建御名方神を別名「飯綱権現」とも呼ぶ。

飯綱とは「霊界の獣」であり「管狐(クダギツネ)」とも呼ばれる。

このクダギツネは「呪い」に使役する霊獣であり、それを得意としていたのだろう。

この「飯綱」に対抗するには「獣には獣」の理(ことわり)があり、最も対抗できるのが「犬神」である。

そして、「飯綱」を使役するためには「龍」の力を借りる。

これは「犬神」とて同じ。

私も経験した中で「飯綱」に憑かれた人が、「犬神」に護られるような形を実際に目の当たりにした。

取り憑いた「飯綱」を「犬神」が『押さえ込んでいた』のである。

本来、取り憑いた「飯綱」は憑いた相手の周りで悪さをするが、「犬神」がそれを「押さえている」ことで身動きが取れなくなっていた。

だが、被害は拡大しないが、押さえ込んでいる場所が「不調」となって表出し、何をやっても治らない。


その方の不調の場所に触れた時、その全容が見えたが、同時に犬神は押さえを離したため、飯綱がこちらの口の中に飛び込んできた。

しかし、私の口は即「黒龍口」である。

腹の中で昇華されていた。



いわゆる「ウガヤフキアエズ朝末期」頃は「霊獣」を使役するような戦争である。

鬼退治に「犬」「猿」「雉」が召されたのは「霊獣」のほうである。

「飯綱」に対抗するために「犬神」「猿神」「式神」を使う必要がある。

そして「封印」やその他様々な地理天候をも味方にするのが常套なのである。

そんなことをしているから「穢れ」が拡がったのだ。


そして、秀吉のころになってようやくそれらは「封印」された。

「陰陽師」の封印である。



おそらく素戔嗚命が退治した八岐大蛇という「ハタレ(外霊)」を、後に「使役」する術を見出したのであろう。

そうしてそれが拡がり再び大蛇で世界は戦乱となった。


今もスピリチュアルブームでそれらと似たようなことがあちこちで散見されるが、それらは「穢れ」を拡げるだけである。

「鎮める」法など誰もやっていないだろう。


例えば、琵琶湖に外来魚を放ったら、気が付けば元の種が絶滅危機に瀕している・・・などと同じことである。

あちこちで「使えば」あちこちで「増える」のである。

幽界に余計なものをたくさん増やしているのである。



大祓の神々は既に「祓い」のお役から離れている。

だから今は生めば生むだけ増えてゆく。

簡単に増殖していくのである。

それを祓戸の神々が「便所掃除」をしてくれていたが、今は掃除する神はない。

それでも人は垂れ流し続けているわけである。

そして、自分たちが生み出した「何かわからない」ものに憑かれ、霊懸かりしているわけである。

「想念」そのままのものが「創念」なのである。


そして人は自らの「想念」そのままの姿を現出し始めているのである。





天照大神


瀬織津姫の「天の岩戸隠れ」の後、後継天照大神は「豊受姫」となった。 

「籠神社」に記されている通りである。

だが、これではまるで「豊受姫」という神が居るかのような錯覚を受けてしまう。 


「豊受」とは「豊」を「受け継ぐ」ということ。 

そして「豊」を受け継いだ「姫」を「ヒミコ」とし「柱」とした。

ゆえに代々ヒミコは「豊姫」の「称号」を持つ・・・ということだ。 

そして最後のヒミコも「トヨ姫」であった。


【豊玉姫】から始まった「ウガヤフキアエズ朝」の在り方そのものであろう。  

その初代をだから【玉依姫】という。