『陰謀論』という「不明処理」 《癒奏術・弥勒・序》
左脳エリートにとって「感覚」という「右脳」が感知するものは、ある意味『存在しない』ものなのである。
右脳が「感知しない」ものは「既知」とならず、よって『存在』自体が「無い」のである。
だから、感覚が鋭敏な人が感知し得ても、鈍感な人は感知出来ないため、感知した人の「現実」を『共有』することすら出来ないわけで、だからいくら説明しても、説得しても、当人にとって「無いものは無い」のである。
そんな「存在しない」ものを説明されても「無い」のだから、彼らはその情報を処理するために何らかの理由付けをして処理する。
そんな「理由付け」の一つが『陰謀論』というカテゴリーとなる。
つまりは「理解できない」から「陰謀論」カテゴリーに入れて処理した・・・ということ。
だからいくら言葉を尽くして説明しても、「解からないものは解らない」のであり、早々に議論も説明も切り上げてやることである。
『感知できないんだな』
というだけのことなのであるから。
左脳に関しては磨きに磨いてきたけれど、その分右脳が磨かれていないわけで、だから感覚的に鋭敏な人と比べてその脳内は「違う世界」を生きているのである。
仏陀の「受想行識」さえも、右脳で受け取って左脳で識別するのではなく、「左脳で受け取れる」ものしか受け取れない。
左脳に直接受領させられる「言葉」なり「理屈」なり、およそ「感覚的」なものを『排除』してやらねば「受け取れない」のである。
コロナ禍に於いて左脳エリートたちの「感受性の無さ」が顕著に現れたわけで、彼らは「突発的な出来事」に対して「反応」して行動することが出来ず、ただ「既知の順序」で渡される「情報」によって、ようやく「行動」を起こすことが出来るのである。
そして、それ以外の「感覚的」な現実は、彼らにとっては「存在しない」わけであり、「既知の順序」から外れた情報は「右脳」の領域のため、そこが曇っているから「判断がつかない」ことが明らかになった。
そして、「既知の順序」という長年培った「道筋」を「最重要」と受け取るように訓練されたその「左脳」は、彼らが「受け取れる形」で情報を流してやることで、ようやく「受想行識」が脳内で発生して、行動へと転化できるのである。
彼らにとって「違和感に対して反射的に行動する」などということは夢にも考えられないことであり、全く異質のものを見るかのように見えるわけで、だがそれを説明するだけの力はその左脳には無いため、最終的に「処理カテゴリー」へと選別することでようやく落ち着きを取り戻す。
『陰謀論』という「処理カテゴリー(不明カテゴリー)」に移さざるを得ない人に、感覚のことをどれほど言葉を尽くしたところで「不明」なのである。
単なる「風邪」を『パニック』にしてしまうほどに彼らは『現実』の外界を認識する能力に乏しい。
大半の人の右脳が「曇りに曇って」いたからこそ、何が起こっているのかということを「感知」することが出来ず、ただの風邪が「見せ方ひとつ」で『パンデミック』となり、必要のないワクチンも「見せ方ひとつ」で「唯一無二」の特効薬と『思わせる』ことが出来るのである。
日本においては「八割」の人々がそうであったということである。
だからこそ、もはや議論も必要なく、右脳が検知した現実に即して『問答無用』で行動することである。
『陰謀論』と言われるとき、「あぁ、不明カテゴリーに入れたんだな」と思えばよいだけである。
感覚を研ぎ澄まし、右脳を磨きに磨き、それを「言葉」として映しとる「左脳」も磨きに磨けば、『感知』し得るものは格段に増えてゆく。
そうして、感知し得る様々な「現実」が増えるたびに、その現実を「不明カテゴリー」に入れるしかない人が周りに増えてゆく。
そうして最後には「たった一人」になる。
それは「高い山」を登ることであり、登れば登るほど様々な景色が見えるが、同じ景色を見る人は「登るほど」に減ってゆく。
そんな高みに登ったところから見た景色は、ほとんどの人にとって「不明カテゴリー」でしかない。
それゆえこの先は・・・
それでもこの先は『問答無用』に進むしかない。
「林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」
「集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。」
「もしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、心喜び、気を落ちつかせて、彼と共に歩め。」
「しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならぱ、譬(たと)えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。」
ー スッタニパータ(仏陀の言葉) 蛇の章 犀の角より
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶 犀の角のようにただ独り歩め
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