続・黄泉平坂の【那美の神】~白銀の龍女 《癒奏術・山桜の章》
前項の続き・・・
ちょうど出かける用事があり、雨の中トボトボと歩きながら、先ほどの光景に思いを馳せる。
「神功皇后の頃の国生み・・・・」
つまり、実際の日本は1800年ほど前の「その時期」からということか?
その思いに「応え」が返ってきた。
『確かにそうじゃ』
「・・・・誰だ?」
伊邪那美の神に似ているが少し違う。
『だが人皇からの血もまことじゃ。嘘ではない。ただ歪んでおる。だから弱い。』
「弱いとは?」
『年月は力である。力は血からであり地からである。地に於いて血は力となるということ。』
『真っすぐの2700年なら世界で最も強い。じゃが歪んで1800年であってみれば、それより強いのがおるということ。』
「カトリックか?しかしあれは血は関係ないだろう。」
『しかし血を受け継ぐ儀式をしておる。』
「血じゃなくワインだろう。」
『それでもじゃ。真っすぐ続いておる。だから強い。』
「・・・・・・」
確かにそうか・・・と思う。
「歪んだ」という意識は急所となる。
それにしても誰だ?
だがその思いへの応えはない。
「だがやはり血ではなくワインだろう。それも歪みのはず。」
『ふふっ、悪びれるから弱みとなる。悪びれなければ・・・』
「弱みとはならない。なるほど。」
『だから今負けておろう。事実として。』
「・・・・・」
『それが悪の強みじゃ。』
よく見ると先刻現れた『銀の龍』が姿を変えて(女性の姿)でしゃべっているのがわかった。
どことなく容姿も似ている。
「あぁ、那美神の分け御魂か」
なので似ていたのだと理解した。
「連絡係ということかな?」
彼女に対して問う。
『それもあるが・・・多々羅じゃ。』
「!!」
そうでしたか・・・ありがたや。
さしずめ『玉鋼(たまはがね)』を授けていただいたということ。
地球の真ん中には『玉鋼』がある。
そこが那美神の領域
その玉鋼を芯に据えて劔を打つ。
「なるほど、陰陽和合、岩戸が開けた先の魂を鍛えるということか。」
『新たな国生み、神産みに業はもはやない。しかし最後の混沌は訪れる。』
天の岩戸は開いたが、黄泉の千引きの岩戸も開いた。
神と亡者が入り乱れる中、見分けなどつきようもないだろう。
『白黒まだら』
「あぁ、確かに。」
ひふみ神示 五十黙示録 至恩(シオン)之巻
第八帖 ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
第九帖 千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。
第十帖 国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。
第十一帖 いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
第十二帖 判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
第十三帖 死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
第十四帖
八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。
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