水瓶座時代の『自由』 《癒奏術・山桜の章》




水瓶座の時代での 自由、平等、博愛、改革というものに

夢を見れど結局のところ、今まで経験したことのないものであるから

多くの人が自由を間違い、平等を間違い、博愛を間違い、改革というものも間違う。



間違っていることに気付かず、自分が思う「自由」を語れど

水瓶座という視点から見れば、それは自由ではないもの

自由の中に情けが混じり、湿った自由は風には乗れぬ

巌の如く自由にこだわり、風が吹いても動かない

自由を知らぬ人々は、まずは「自由」を知らねばならぬ



自分の自由に固執して、他者の自由を奪い合い

水瓶座の平等は、自由と共に無ければならぬ

自由自由と語りながらも、いつしか他人に枷はめる



変わらぬ自分、変わりゆく他人(ひと)

変わらぬも自由、変わるも自由

されど人は「同じ」を求め、他者の自由に枷はめる

水瓶座の改革は、「同じ」にとどまること非じ

風の時代の変転に、着いてゆけずに駄々こねる

自由を知らぬ者たちは、まだまだ今なお自由ごっこ



水瓶座の博愛は、自由な選択を尊ぶ

何を選ぶかは自由であれど、選んだ責任ちゃんと持て

選ぶのは 最後の最後は 自分自身

そこに誇りと責任を、持てねば自由になれませぬ



自由だ愛だと言いながら、結局情けに流される

悔しさを 誰かにぶつける 情けかな

哀しさを 誰かにぶつける 情けかな

そこに愛などありはせぬ、情けで湿った心が波打ち

自分で鎮めることも出来ずに、自由、平等、博愛は無し




年明けて、情けに揺さぶられ溺れ行くもの多数

せっかく「予行」があったにもかかわらず、学べず経験せぬまま過ごしたため

自由の風に煽られて、飛ばされまいと踏ん張りしがみついて

せっかく「自由の風」が吹いているのに、風に乗れない人々は

「過去」に踏ん張りしがみつき、自ら「自由」を捨ててゆく

自分の「自由」に固執して、他人の「自由」を認められずに

『放ったものは還ってくる』が道理、そうして自ら縛られてゆく



『選ぶ』ということの大切さ

それが『自由』の要(かなめ)である

選んだ地点が竹の節(ふし)

「前後際断」過去を一切手放す地点

だから『選択』を尊ぶ

自由な選択を尊ぶ

その『選択』を穢すことは

自由と平等と博愛を投げ出すことである。



『選択』を尊べず「情け」を溢れ出すは「穢れ」

八岐大蛇の一岐である「飯綱道(いづなみち)」

アマテル神の選択を、穢したる「飯綱道」

情けが凝りて飯綱(イタチ)霊

湧きに湧いて暴れたり

神世の示現が今にある

八岐大蛇の締めくくりの渦

人の情けが湧いて暴れる



選択せぬも「選択」である 「選ばぬ」を選択しておるだけ

自分も選べば他人も選ぶ 責任もって選ばれよ

なれば尊き自由なれ

選んだことに責任持てねば、自由を語る資格なし

選ぶは自分、誰にも非ず

自分の未来の責任は、すべて自分の選択の先

選ぶ覚悟が出来たなら、天上天下唯我独尊

誠の自由を手に入れて、神風に乗り舞い上がる