終わりと始まりの扉を閉じて・・・ 《癒奏術・風の章》




ようやく扉を閉じられる

そのための「振り返り」をしていた


それは「時が来た」ということであり、「時」とは「ここまでが限界」という「時が来た」ということ。

つまりは「終わりの時が来た」ということ。


まぁ、自分の中のことなので他人様には関係ないが・・・・




4歳の時にはすでに「箱庭」という「画一性」に対して居心地の悪い「違和感」と「嫌悪感」を抱いていた。

はじめて「幼稚園」という箱庭に行った時、教室という「箱」の中に入ることがどうしても出来ず、そのまま母に連れられて帰っていった。

同じ年の子供たちが同じ服を着て同じ椅子に座り同じ方向を向いている光景を目にして、ただただ「嫌だ、入りたくない」と思ったのを今でも覚えている。

その後も何度か連れられていき、何度目かでようやく教室に入れたため、母はほっとして帰っていった。

しかし、その場の気持ち悪さと違和感が無くなったわけではなく、だからこっそりと幼稚園を脱走して園児の足で30分近くかかる道をひとりで帰っていった。

その後も何度も脱走を繰り返し、それが無くなるまではしばらくかかったものである。


「聖母女学院」という学校の付属幼稚園であったため、先生方は「シスター」と呼ばれ、皆「黒の修道服」を着ていた。

確か毎朝、講堂のマリア像に向かって祈りを捧げていた・・・と思うが、その辺の記憶は定かではない。

そういえばあまり覚えていることは無いなと思う。

何せ「楽しくない」のだから・・・・

記憶に多いのは、一人脱走して帰宅する帰り道の風景

帰路の途中にある「たこやき屋台」で「10円」で2~3個くれた「たこやき」と、その屋台のおばちゃんとのやりとり。

卒園の日に卒園児の代表として講堂の壇上から聴衆(笑)に向かって「何か」を読み上げていた事。


小学校へ上がっても、相変わらず「教室」という空間が嫌いであった。

なぜか担任の先生から猫かわいがりされていたが、幼稚園から「脱走兵」であることが申し渡されていたのか・・・・

そのおかげなのかわからないが、小学校には居つくようにはなった。

なりはしたが嫌なものは変わりようがないのである。



たぶん今なら「精神疾患」というレッテルを貼られていることだろう。

こちらが見ている「景色」などは想像することもない。

「画一性」の「箱」の中では「例外」は「異常」であるとされる。


「統計」という単なる「傾向」でしかないものを根底にした「画一性の箱庭」は、言うなれば「おおざっぱ」な括りというものであるが、その「括り」が根底に根付いた社会では「画一性」が「正解」であり「例外」は「間違い」となる。


それは医療の中にも根付いており、「正常値」という統計的括りから外れるものを「病気」としてわざわざ「名」を与えて「病」を固定化するという、いわば「呪術的」なことを無意識に行っている。


だから子供たちは必至で「空気」を読み、「正常値」であろうと必死になり、その習慣化が定着した時、自らの中に「正常値」という「縛り」が根付いて、今度は他者にも「正常値」であることを求めるようになる。



以前、学校(高校)へ通えなくなった医師の娘さんがいて、その娘は「病気」とされて精神科で処方された薬を飲みつづけていた。

その娘をはじめて施術した時、頭から強烈に「しびれるような」エネルギーが流れ込んできた。

別の言い方をすると「邪気を抜く」ということであるが、その「邪気」の正体は服用している「薬」の作用である。

その後も何度か施術しているが、その「邪気」がある時と無い時があり、それは薬を服用しているかしていないかという違いであった。

だが、いくら施術で薬の邪気を抜いたところで、その時は楽になるだけであって根本は何も解決しない。


何も難しいことではない。

彼女が見ている景色と、それに伴い行っている行動・・・

それを見つけて一言二言の言葉をかけることで「呪縛」から解放されたわけである。

一つの呪縛を解き、また一つの呪縛を解き・・・・

その呪縛が身体に与えた影響を施術で解き・・・・

多少時間はかかり「高校復帰」はかなわなかったが、大学には進学するようになった。


それからというもの家族全員の施術をしていたのだが、ワクチン接種が始まり(医師なので早い時期)その後こちらの「シェディングの影響」が酷いため、以来、施術が出来なくなってしまった。



何が言いたいかというと、いわゆる「呪い」なのである。

「暗示」という言い方も出来る。

そういった「呪縛」がそこかしこに潜んでおり、その「呪縛」をまるでウィルスを感染させるように広げているのだということである。

「呪(しゅ)」により縛られたものは、周りにも「縛り」を伝播する。

その「縛り」が「常識」というものに根付き、ありのまま、在るがままを見る「目」を塞いでいる。


ありのまま、在るがままを見ればいいだけのことが、「呪」により塞がれた目には映らなくなる。

そして「心の声」も届かなくなる。


私の目に映ったその医師の家族というのは、「在るがままを見る娘」と「在るがままが見えない家族」という対比であり、「在るがままを見る娘」が「家族全員の調整(バランスを取る)」ということを一人でやっていたということであり、だからくたびれ疲れていたわけであり、だがそんな状況を「あるがまま見る人」が居なかったから、その娘は自分がそんなことには気付けなかっただけである。

恐らく「学校」でも同じ状況だっただろう。

在るがまま見ている者と在るがまま見ていない者との「溝」が、「同じ」になれないという状況を作り、学校に行けなくなっただけである。


ただそのことに「気付く」だけで、自分でコントロールが出来るようになるのであるが、気付かなければそれは出来ない。

他者が見ている世界と自分が見ている世界の「景色が違う」など、子供の頃にはなかなか想像出来ないものだ。


だが世界は着実に「画一性」を求めており、「違う」を排除する力が根っこに居座りつづけているのである。



精神科医に「病名」を付され、薬を処方されて「病気である」と認定されれば、当人は「自分が悪い」という「呪い」に懸かる。

ましてや「医師」の娘である。

それを否定すれば親を否定することにもなり、自分の生活の根底であるものが否定される。

だから「呪い」が解けない。

そして家族も「病気」であると認定してしまえば、彼女は孤独の中に追いやられることとなる。

つまり「正常値」の家族と「異常値」の娘・・・という「溝」を生んでいる「空気」が固定するのである。

その「空気」の中に存在する「呪い」を見つければ、溝の原因である「呪い」を解くことで「祓い」となる。



だが・・・

そんな溝を生んだ原因である「常識」の中にある「呪」は解けない。

なぜなら、それを「正常値」であり「正解」であるとしているからである。

だから、彼女の「異常値」が改善された・・・・と家族は思うわけである。

家族に懸かっている「常識」という「呪」が、彼女を「病気」という「呪縛」に追いやった・・・ということまで理解が及ばない。

「呪」によって目を塞がれ耳を塞がれてしまっているからである。



「呪い」という「思い」の中に固着して「思い」の中に映る映像を、時に歪め、時に隠す「言葉」というものは、まるでウィルスのように気付かぬうちに入り込み、心を犯し感覚を犯し理性を犯してゆく。

だがそれが「正常」であり「正解」であるならば、人はそれを「手放す」ことな無くなる。

それを「正常」であり「正解」であるとすること自体が「呪」であるのだが、それを手放せば築き上げた「自分」という存在の城が崩れ去るから手放せない。


おそらく「剥ぎ取られるまで」握りしめ続けるだろう。




ここ5~6年ほど続けてきた「呪」を『祓う』ために様々なことを書いてきた。

それが『終わる』ことであり私の『終わりの扉』である。


登校拒否の子供たちが増えていることを「問題だ」と言うが、それは子供たちが自分を曲げてまで正常値とされるところに「留まらない」ことを選択していることであって、「手放し」が出来ない人にとっては「異常値」と見えているだけの話であって、「在るがまま」を見ればそれは「当然の成り行き」なのである。



それはいずれわかる時が来る。

そうなったとき、はじめて「天地がひっくり返った」と思うだろう。

握りしめたままの者は、まさに「ひっくり返る」ことになる。




ようやく

肩の荷を下ろして 風に乗って飛んで行ける・・・・



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