【癒奏術・三四五(御代出)】 学の世の終焉





世界が進化し発展するのは常に「芸術」からである


想像と

情熱と

行動と


三つの🌀(うず)が重なり示現す

天地創造からの理(ことわり)


学はそれらを整理するもの

日の光を受ける月なり



日月逆さの今の世は

創造性を喰らいゆく

生み出すものから取り上げる

天地逆さの学の世なり



日を喰み光を喰らう暗がり世

真っ暗闇の学の世は

日の光を我がものにする

月夜の世界 月夜見の世界



天地が捲れあがるとき

朝日が昇りて月翳る

学の屁理屈捲れあがるとき

感受の光が目覚めだす



過去の創造食い尽くし

もはや食うもの無き学は

自ら何も生み出せず

人の退化でつじつま合わせ



反転したる弥栄の巡り

天地日月が逆さまなる世

枯れ行く弥栄の巡りを隠し

逆立ち続けた月夜の世界



天地グレンと返るとき

崩れゆく学の砂の城

自ら光を放てぬことを

改心するしか無くなりし




五六七(ミロク)世界の産声が

三四五(ミヨイヅ)とともに現れる

朝日が昇る日本晴れ

芸術が生む弥栄の光



日ノ本の道は生活に

芸術光りて弥栄する

芸術の中に神の意志あり

富士は晴れたり朝日が昇る



日鏡(右脳)磨けたるものに

朝日の光差し照らす

月鏡(左脳)の曇り汚れの

影に棲みたる蛇(邪)に居場所なし



最後の最後の悪あがき

破滅の序曲が鳴り響く

穢れたオロチの大鳴門

我善し御霊が先を争う



最後に残るは劔のみ

オロチが向かう反対側の

尻尾に顔出す劔の御霊

富士は晴れたり朝日が昇る








ひふみ神示 地(クニ)つ巻 第二十七帖

天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者 引き寄せるぞ。おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ、おけ。



五十黙示録 星座之巻 第二十一帖

言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。