瀬織津姫という存在
続・華厳の道(執筆中)より一部抜粋
瀬織津姫という名がはたして正しいのかというと、それは『確かなもの』ではないかもしれない。
なぜなら神は自分の名など名乗らないからである。
もし問われて答えたとするならば、それは『その時』の現れの状態を示すものである。
現れる時や状況でその名は変わるであろう。
だから『瀬織津姫』という名も、それが現れた時や状況によって名付けられたものである。
だが、ここではやはり『瀬織津姫』という名を使っておく。
それは、神の意志が今という時と状況に対して、その名を必要としているからである。
その『瀬織津姫』と呼ばれる神を「人類」の立場から名付けるなら、やはり【天照皇大神】となる。
そんな『瀬織津姫』が我が身に現れ起こったことは何か?
それは【覚醒】と呼んで差し支えないものである。
第三の目が開き、クンダリーニが発動し、チャクラが開花し、『龍』という眷属を動かすことが出来る。
つまりは「人に対してこれだけのことが出来る神」である。
そして、それだけのことが出来て始めて『在りて在る』状態となる。
『在りて在る』とは『人本来の在り方』が「こうで在る」ということだ。
『瀬織津姫』という太古の神が息づいていた時代の人は、まさにこの『在りて在る』状態であったということである。
そんな状態の人であれば、わざわざ『宮』を造らなくとも神と繋がる。
『人が宮』という状態である。
すべての人がそうでなくとも、そこへ至るプロセスは現代人より遙かに容易であっただろう。
その『在りて在る』状態というものを理解しやすい、現代人よりももっと近い場所に居たはずである。
そのプロセスは遠く離れたインドの地に『ヨーガ』として残っており、ヒンズーの神々の神話として『在りて在る』状態へのプロセスが記されている。
それは『瀬織津姫』という神が、日本だけの神では無い証となる。
この『名前』に囚われているから『日本の神』となるだけで、本来神は名乗らないのである。
そして神が伝え来るのは「言葉」ではなく「言霊」である。
言霊を下ろされた人が自分の言葉で表現するのであるから、表現された言葉は違うものとなり、名前も違うものとなるのは当然のことである。
太古の人にとってそれは「常識」の範疇であるが、現代人にとってそれは「信じがたい」こととなる。
そんな『ヨーガ』の神話は日本では【伊邪那岐命】と【伊邪那美命】の神産みの神話として残っている。
ヨーガに於けるシヴァとシャクティの神話は、日本の伊邪那岐命と伊邪那美命の神話に対応している。
それはまるで『合わせ鏡』のように、二つの神話を合わせることで神話が示す本来の意味を取り戻す。
【縦と横】
ヨーガのシヴァとシャクティは、日本の神産み神話の二神が巡る『柱』の部分であり『縦』の【結び】を示している。
それはシヴァである『第三の目』と『第六の力(霊的能力)』の結びである。
伊邪那岐命と伊邪那美命の二神の【結び】は『柱』を巡り流れる天地の『循環』を示している。
それは霊的能力と実的能力の結びである。
本来『柱』となる神が存在していたのであるが、人はその『柱』を失った。
つまり『縦の結び』を失ったのである。
日本の神話で失われた『柱』の神 それが【天照皇大神】であり、縦の結びを成した王が【天照国照彦火明櫛玉饒速日命】となる。
天を照らし国(大地)を照らす火の子であり、火の明かりとなる魂を降ろし(櫛=串)速やかに饒(ゆたか)さをもたらす日のような大王 ということである。
この大王が降ろす明かりとなる魂であり親でもある存在
それが【天照皇大神】であり【瀬織津姫】なのである。
素戔嗚命が稲田姫を櫛にして髪に挿した・・・というのも、稲田姫の魂を降ろし五穀豊穣を司る神へと転嫁していったのと同じである。
そして「稲田姫」という『名』は、その時その状況に於いて付けられた『名』であり、そこにいる神は【天照皇大神】という『柱の神』に他ならない。
【天照皇大神】は【天照大神】ではない。
【天照大神】は『記紀』により【伊邪那岐命】の神産みで誕生した神である。
それは【伊邪那美命】がいる『黄泉』との『岩戸』を閉じた後に産まれた。
その『岩戸閉め』以前の神が【天照皇大神】である。
また【素戔嗚命】は【素戔嗚大神】ではない。
【素戔嗚大神】は伊弉諾大神と伊弉冉大神の『結び』から生まれる『力の神』である。
【天照皇大神】が『柱』としてあったころ、その『柱』により制御された『力』である。
つまりは人がクンダリーニを発動させ、チャクラを開花させ、神々と繋がっていたころ当然のように使っていた『力』であり、それは現代人の想像を超えている。
だが、その『柱』を失った。
第三の目は閉じ、クンダリーニのエネルギーは発動せず、神と真っ直ぐ繋がることの出来なくなった人類に、『力』の遺産だけが残ってしまった。
最初の【岩戸隠れ】である。
柱を失うことで、あの世とこの世を結ぶ道も途絶えた。
伊邪那岐命の【岩戸閉め】である。
そんな柱を失った力の遺産が暴走し、人類を大混乱に陥れた。 そんな大混乱を収束すべく、新たな【神】を産んだのが【伊邪那岐命】の神産み。
だがそれでも混乱は治まる様子は無い。
だから『力』そのものを封じた。
この世にあの世の力を使うことを禁じ、あの世の力を葬った。
それを素戔嗚命に背負っていただき黄泉の世界へと持って行っていただいたのである。
だが、そんな中でも使えるものは使いたい。
星々の力
大地の力
それらを使う術を残した。
それが【国譲り神話】である。
建御雷神と経津主神の力を『風水』の名の下に残し、星々の力を利用する術を【天御中主神】の名の下に残した。
話を戻そう。
太古の【天照皇大神】の時代は、あの世とこの世の共和が当たり前の時代である。
「あの世は無い」という前提の現代とはすべてがかけ離れている。
生きること、暮らすこと、学ぶこと、創造すること、楽しむこと、喜怒哀楽の原因すら全く違う。
つまり、【瀬織津姫】が我が身に訪れ『覚醒』するということは、それらすべてが根底から覆るのである。
生き方、暮らし方、学び方、創造の仕方、楽しみ、様々な感情の原因が、現代社会とかけ離れた『隔たり』となる。
また、今の科学と太古の科学には大きな違いがある。
この『三次元』のみを前提とした科学と、別次元と当たり前のように交わっていた時の科学では『雲泥の差』なのである。
かつては「常識」としていたものを、現代では必死に掴もうと躍起になり、まるで雲を掴むかのようなおぼろげさだろう。
それほどの開きがある。
【天照皇大神】が『今』という時代に【瀬織津姫】という名を求め導いたのは、他ならぬ『かつての世界』への入り口となる『名』だからである。
その『名』を起点にして起こる『変化』の先をすでに見ている。
時に【稚日女命】と現れ、時に【撞賢木厳之御魂天疎向津媛命】と現れたその神は、時と場所で様々な名で現れている。
シヴァとシャクティの物語で語られ、北欧神話で語られ、仏の姿で語られ・・・・
そしてホルスの母「ハト・ホル」
様々な姿を現出させる。
この世とあの世の交わりの中、閉じられた数々の【岩戸】を開いたその先に、『柱』として遠い過去より変わること無く今も『統(皇)べる』存在。 遙か天上から三千世界を『機織り』する神
それが【瀬織津姫】と呼ばれる【天照皇大神】である。
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