かつて開きかけた『岩戸』
ここ連日、夢の中で襲われる。
霊に襲われるならいいが、「天狗的」なものや「神的」なものに襲われるので非常にやっかいである。
それも仕方の無いことなのか・・・とも思う。
乙姫殿の導きは続く。
三穂津姫が「アマテラス」であり、その【三穂津姫】の元の名は【沼名河比売】である。
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)でスサノオはアマテラスの『玉』をかみ砕いた。
それは新潟の糸魚川から算出される『翡翠』
【沼名河比売】は「翡翠の女神」でもある。
この【沼名河比売】と「誓約(うけい)」を行ったのである。
そして【沼名河比売】が閉じこもった『岩戸』は【岩殿山】
上杉謙信公の「春日山城」のすぐ北にある海に面した山。
その山の東に【沼名河比売】を祀る『居多神社』があり、岩殿山の天台宗・明静院こそ『岩戸の中』である。
その【沼名河比売】の二人の子供【建御名方神】と【事代主神】
【建御名方神】の元の名は【御穂須須美命 (みほすすみのみこと)】
またの名を【皇足穂命(すめたるほのみこと)】という。
【建御名方神】が本来の【スメラミコト】であり【大国主】の後継者であった。
それが【事代主神】へと変遷した。
それを示すのが『海幸山幸』の物語である。
海幸が【建御名方神】
山幸が【事代主神】
ということだ。
また、【建御名方神】の別名【皇足穂命(すめたるほのみこと)】には、さらに別の呼び名がある。
【飯縄権現】
上杉謙信が『毘沙門天』と共に帰依していた【飯縄権現】である。
【飯縄権現】が祀られるのが『飯綱山』
かつて武田信玄と上杉謙信がさんざん争ったとされる『川中島』のすぐ北側に位置する。
私は以前より『上杉謙信』と『武田信玄』は「本当に仲が悪かったのか?」と思っていた。
表面では『敵』同士であるが、腹の中は『友』というものである。
奇しくも『飯縄権現』を掲げる上杉謙信と、『諏訪大明神』を掲げる武田信玄は、共に【建御名方神】という同じ神の旗のもと、川中島で表面だけの戦いを繰り広げていたのかもしれない。
だが、両者が【建御名方神】を旗に掲げている限り「天下取り」は叶わない。
それは『神話』そのものがひっくり返ってしまうことにもなりかねないからだ。
内実をよく知った両者のどちらかが天下を取れば、せっかく閉じた『岩戸』を開かれてしまう恐れがある。
だから
『殺せ』
となるだろう。
上杉謙信と武田信玄の死はあまりにも不自然極まりない。
あまりにも都合よく死んでいる。
そうして天下取りは『織田信長』へと移っていった。
だが・・・・
この『織田信長』は【太玉主命】からの末裔である。
【太玉主命】とは『勾玉』の神に他ならない。
それは『皇室』から排除された一族である。
織田信長もやはり【沼名河比売】に連なる人物であった。
だから彼も天下は取れない。
そして殺された。
現在、『岩殿山』の麓に【劔神社】【諏訪神社】【飯縄権現】を合祀する場所がある。
それはまるで織田信長と武田信玄と上杉謙信を偲んでいるようでもある。
隠し続けられる『岩戸』
そして岩戸の中の『アマテラス』
かつての戦国の末期に開きかけた『岩戸』は、やがて開くことになるだろう。
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