愛国とは?
愛国という言葉をもって、すべてが同じであるとするのは大きな間違いである。
根底にある思想、信条が全く異なる「愛国」が、同じものとして同義に扱われてしまう。
同じ愛国者でも「グローバリズム思想」や「共産思想」から来る愛国もあれば、「ナショナリズム思想」や「国民主義」から来る愛国もある。
どちらも同じ「愛国」ではあるが、その行き着く先は全く違う。
それを間違えれば自らの選択すら間違ってしまうのである。
根底にある「自分は何を望むのか?」ということさえわかっていなければ、この「愛国」という言葉と信条に騙されてしまうのである。
第二次大戦時、日本は「大東亜共栄圏」という信条を掲げて戦争に踏み切った。
現在は「RCEP(東アジア地域包括的経済連携)」という「大東亜共栄圏」そのもののような協定が進行している。
その姿形はほんとうにそっくりである。
だから間違えてしまう。
「大東亜共栄圏」と「RCEP」は姿形は似ては居るが、その思想信条に於いて全く異なる。
第二次大戦当時のナショナリズムから生まれた「大東亜共栄圏」と、現在のグローバリズムから生まれたRCEPでは、根本的な根っこが違うのである。
だが、どちらも「愛国」なのである。
ただ、違うのは「何を国とするか」の根本的な違いがあるということだ。
「権力者とそれ以外の民」というグローバリズムから生まれる大東亜共栄圏
「国民の生活、人権の守護」というナショナリズムから生まれる大東亜共栄圏
同じ「愛国」という言葉でくくられ、同じ「アジア守護」という信条でくくられながらも、その内容に於いて、そして行き着く先は全く違うのである。
愛国者とは何であるか?
その立ち位置と思想信条で180度も違うのである。
うわべばかり見て中身を見なければ間違うのである。
自分はどちらを求めているのか?
自分は何を求めているのか?
それがわからずに言葉だけ、形だけに囚われて行う選択によって、思ってもみない方向へと進んでしまうことになる。
そうやっていくつもの選択を間違ってきたのでは無いのだろうか?
「愛国者だからいい」ではないのである。
単純な言葉に踊らされないことである。
0コメント