カルト




学校で、クラスで「自分の意見は違う」時でも、その「違う意見」に賛同しなければならない『空気』というものがある。 

とりあえず「賛同」しておけば面倒な事に巻き込まれずに済むから「賛同」しておく・・・ということ。 

もし「反対」なんかすれば顰蹙(ひんしゅく)を買い、「面倒なやつ」と思われて、後々自分の立場が苦しくなる。 

だから本当は反対でも賛同しておく。 


それは「いじめ」や「はみご」にされることを避ける子供たちの知恵となっている。 

なぜ子供がそんなことをしなければならないのか? 

それは大人がやっているから・・・ 

だから反対できない。 

反対しても「救い」がない。 

だから反対出来ない。 



本音で生きることなど子供の時から出来ない社会がある。 

多数と違う「本音」を言うと奇異の目で見られて排除される。 

そんな大人の社会のシステムが学校に浸透しているのである。 



空気を読む大人たちが管理する学校で、自由な発想など育たない。 

自由な意思、自由な意見はすでに「空気」という「同調圧力」によって、子供たちに「統一」を強いている。 

これこそ「カルト」なのであるが、「カルト=少数派」という勝手な思い込みゆえ「自分がカルト」であることに一切気づけない。 


空気を読む親たち 

空気を読む先生たち 


だから子供たちも空気を読むしか術が無い 

はじめから「多数に従え」という「同調圧力」による「意識統一」を強いる学校というカルト教団。

学校だけでなく社会自体がカルトと化している。

メディアという媒体を通して行われる「カルト化」は、「メディア絶対」という意識統一が為されてゆく。



自分の意見や意思を最初から「停止」させることを訓練されたカルト社会で、自分を曲げられない子供は窒息しそうな息苦しさの中にある。 


空気を読め 

多数に倣(なら)え

個性は「面倒」を生むから排除する


そんな同調を強いながら「夢を持て」と言う。 

だがその夢も「同調」しないものは「異物」とする。 

これでどうして「夢」など持てようか? 



子供は大人をしっかり見ている。 

大人の社会も「同調社会」であることを知っている。 

だから「同調」せざるを得ない。 

「同調」するために「思考停止」を学び実践していくしかない。 

その繰り返しがやがて身体に染みつくまで・・・ 



自分は「多数派」だから「カルト」であることに気づけない大人たち。 

カルト宗教がやっていることと同じ事を自分がしているのだと気づけない大人たち。

自分の意見が「少数派」だと思った瞬間、思考停止が始まり「自分の意見」を打ち消して、「多数派」へと自分の「意思」をねじ曲げる。 


どの世界、どの分野でも「多数派」に寄る習性が身に染みついて、自分で気づけず自分で剥がせず・・・ 

そんなカルト社会の学校で、子供たちは確実に「カルト化」していくことを運命づけられている。

それが嫌ならカルト社会から脱するしかない。

親からも先生からも「救い」は与えられない。 

そうして自分を曲げられない子供は引きこもってゆくしかない。



自由を知らない大人たちは、子供に自由は教えられない。

夢を知らない大人たちは、子供に夢を教えられない。

未だ自分を持てない大人たちは、子供に「自立」を教えられない。

自分を尊べない大人たちは、子供に「尊厳」を教えられない。

カルトに浸かった大人たちは、子供にカルト化を強いるしかないのである。       




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