崩れ去る「幻想」の先に残る「実の道」




世界は「幻想」に覆われている。

「幻想」は認識を統一することによって「常識」へと変わる。

皆が同じ「幻想」を抱いていたなら、それは「常識」としてまかり通るわけである。



3年前に龍神会「奥宮」の【弥勒世への鍵】というDVD動画の中で語ったことであるが、ここでもう一度あらためて書いてみる。


例えば「お金」というものがある。

これは「実体」の無い明らかなる「幻想」である。

この「お金」という「通貨」の根本にあるのは「信」という架空の幻想である。

通貨を通貨たらしめる「信用」の【元(もと)】となるものが存在する。

それは「金」であったり、現在では「資源」であったり、「資産」と呼べる「確かな実体」が背後にある。

では、日本の「円」という通貨の「信用」に足る「実体」とは何であるのか?

資源も無ければ、金も多くは無い。

そんなこの国の通貨を「信じるに足る存在」たらしめている「実体」とは何であるか?

それは【人】である。

日本人という【人】が「円」という通貨を保証する担保となり得るだけの「実体」である。

「技術」や「勤勉」という陳腐な言葉で片付けられるものではなく、その根源には日本人の「在り方」そのものがこの信用を生み出している。

「技術力」や「勤勉」の奥にある実体は「具現化能力」なのである。

そしてそれは「国民の総体」としての【信】であり、それが揺るがないからこそ担保となり得る。

だが、それが崩れている。

資源を担保としている国の資源が枯れ始めているように、人の総体の力が枯れ始めているのである。


それはまるで、かつて「源氏」と「平家」が争ったときのようである。

この国の根幹たる「農業」をおろそかにして「貿易」にいそしみ、一時の「儲け」に走った「平家」に対して起こった戦いであったが、今はまるでその時のようである。


それは「根っこを枯らしながら枝葉を伸ばす」ような行為なのである。

だからやがてその木は倒れる。

「実」を蔑ろにして「幻想」を肥大化させ追っているということなのである。



人は「常識」という言葉に踊らされ、常識という「共通幻想」を抱き、幻想であるものを「実」と取り違えてしまった。

民主主義という「幻想」

お金という「幻想」

平和という「幻想」

国家という「幻想」

そして【言葉】も・・・・

様々な「幻想」の大地に根を下ろしている。

様々な「幻想」を「幻想」と認識せぬままそれを「大地」として立っている。



幻想は崩れ去る。

それが「グレートリセット」なのである。


なのにいつまで幻想を握りしめているのか?

いつまで幻想を大地としているのか?


目覚めたといいながら、いつまで幻想に浸っているのか?

それは目覚めた夢を見ているにすぎない。



君は何を具現した?

これから何を具現する?

具現することが「実の道」である。

そして、「実の道」こそが「華厳へ至る道」である。

【神】とは「具現」するもの。

「想像」を「創造」へと具現するもの。

神国民とは「具現者」である。

大和魂とは「具現」する魂である。

「空」の中に「実」を具現する人。

それが【神人和合】の【神国人】である。




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