スピリチュアルの闇(病み) ~続・華厳の道より




流行するスピリチュアル 


スピリチュアルのブームというのは、およそ「変えようのない現状からの脱却」という人の思いが、その行き場を求めてたどり着いたものだと思う。 

努力しても変わらない。 祈り願っても変わらない。 

時が経てば良くなるだろうと思って待っていても変わらない。 

そんな「しこり」となった不満の行き着く先として、「変わらない現実」とは別の世界に原因を求めていったゆえである。 


「それならば仕方ない」 そのような答えを求めている。 

されど、心の中には「不満のしこり」が残っており、それを解消するための手段を要する。 

そんな手段を提供するのがスピリチュアルのビジネスとなる。 


人の「不満」の種類だけスピリチュアルのビジネスは発生し、心の中の「不満のしこり」に対してアプローチする。 

人が喜ぶアプローチであればあるほど、その種別は増えてゆく。 

人の「不満」と「解消の嗜好」に合わせて増えてゆく。 

だがそれは「不満」から生じる「欲求」に一時的に応えるもので、本来の問題解決には至らない。 

この「問題解決に至らない」というところにスピリチュアルビジネスの妙味がある。 


特に「答えを出さない会話」に慣れた女性的な発想と言える。 

「不満のしこり」を甘美な言葉でアプローチするということは、例えば「凝り」の不快な箇所に「指圧」というアプローチをするに似ている。 

「凝り」の部分に直接アプローチすることで、本来「痛感」であるはずの感覚が「快感」となる。 

それは「痛みの先にある喜び」というものを想定するがゆえの「痛感」から「快感」への転化である。 

だが、いくら「しこり」となった「凝り」の箇所を直接的にアプローチするだけでは「凝り」そのものは解決しない。 

それは、「凝りに至る原因」が他にあるからである。 


本当の意味で「解消」するならば、想定外の「痛感」が訪れる。 

だがそれを理解し得る人は、「快感」ではないにしろ別の「感覚」へと脳内で変換する。 

しかし、頑なな心はやはり「快感」を是とする。 

ゆえにやむを得ず脳を騙すために「快感」も与えつつ、本来必要である処置を行うという非常に面倒な作業を要する。 


だが、そんな状況から「癒奏術・Yuragi Therapy」という施術が誕生するに至ったわけである。 



スピリチュアルの「癒奏術」も全く同じコンセプトのもとで出来ている。 

だがこちらは身体ほど単純なものではない。 

それは「生きる上で特に問題無い」ということもある。


身体の方だと不具合は放っておけば進行して困ったことになる・・・ということを理解しやすい。 

だが、心の場合はそうではない。 

不具合があっても「不具合に気付かない」のである。 

それよりも「不具合から生ずる欲求」のほうが表に現れ、そこから「欲求が満たされない枯渇感」が発生し、その「枯渇感」を満たすことが最優先となってしまうからだ。 

そして何より違うのは「自らそれを認識しなければならない」という必然性があるからである。 

身体なら「寝ている間に終わっている」ということが多々あるが、心の場合はそうはいかない。 

どうしても「自分で認識する」必要がある。 


排水口から匂いが上がって来れば、元を掃除しなければならないが、そんなところに手は突っ込みたくない。 

だから「蓋をする」か、もしくは何か別の手立てで何とかしてくれないか・・・ 

誰かがやってくれれば尚ありがたい。 

だが、他の誰かが直接手を入れて掃除することは出来ない。 

掃除するには「自分の手」でやるしかないのである。 

だから、とにかく匂いさえ上がってこなければいいか、匂いを誤魔化せればいい・・・ということになる。 


そうして誤魔化し続けるループに入る。 

消臭剤の効果が切れて匂いが現れるたびに新しい消臭剤を手に入れる。 


これがおおよその「スピリチュアル」の世界である。 




対処療法と根本治癒


身体の不具合に対しても「対処療法」に慣れすぎ、「体調不良は病院で・・・」というのが固定観念として人の潜在意識にまで恒常化している昨今では、精神性の問題についても「対処療法」ということになる。

病院で対処してもらうように・・・である。


風邪をひいて病院に行って薬を飲むか打ってもらって「症状」が緩和したから「普通の生活に戻れる」というループが出来上がっている。

「熱を出し切って灰汁を出し切るために免疫を上げるサポートする処置」というようなまどろっこしいことはしない。

そんなことをすれば仕事を休まなければならないからである。

「休めば良い」わけであるがそれが出来ない。

そこに社会の「歪み」というものが存在しているが、それに対抗する意思を人は持たない。

だから「対処」に走らざるを得ないわけである。

だがそれは、結局のところ「免疫の力を下げる」結果となっている。

免疫の力を下げるというのは「抵抗力が下がる」ということ。

そして、身体に対するこの「繰り返し行為」が潜在意識に「恒常性」となり、他の場面でも「抵抗力」を無くしてしまう結果となる。

それは「抵抗力」無く「忍耐力」無く「腹の据わらぬ」人となる。


スピリチュアルなことでも同じく「対処」ばかり続けていれば、やがては精神的免疫力」は低下し、薬物依存のような状況が現れてくることとなる。



この「薬物依存者」を「根本治療」するとなると一朝一夕には行かない。

だが多くの人は「対処」でなんとかなると思っている。

自分が「薬物依存」などとは気付いていないのである。

だから「薬物」を欲する。

スピリチュアルの世界での薬物とは「情への報酬」である。



続く・・・・