響感覚(きょうかんかく)
天王星が牡牛座に入って早四年・・・
2025年7月には次の星座へ移ってゆく。
移ってゆくということは「次の段階」へ行くということである。
そんな天王星が来年1月まで逆行している。
かつて、天王星牡牛座時代は「五感の革命」と語った。
だが多くの人は「あらぬ方向」へと走り続けている。
五感で「感じる」ことを諦め、言葉に「感じ入る」ばかりの方へ走っていった。
自分の「感情」ばかりに目が向き、自分の「感情」を「感じる」。
自分の感情を感じることは良いことであるが、その感じた「負の感情」を中和する「言葉」を追い求め、その言葉に「感じ入った」のを「感じる」ことだと勘違いして・・・・
誰かが撒いた「悪の種」から成った実を食べた。
蛇が「エヴァ」を誘導したように、誘導されてその実を食べた。
そして、「五感」からどんどん離れるように「感情」の波に押し流され、遠い沖まで流されていった。
スピリチュアルの大好きな「宇宙」は、この星のエネルギーである。
であるのに何故「反対側」へ向かうのか?
宇宙は「五感を研ぎ澄ませ」と告げている。
であるのに何故、五感を塞ぐ?
大きく大きく二線に分かれた道
心の「騒ぎ」に「五感」を塞がれたものと
心静かに「五感」を感じたもの
この四年で大きな差となっただろう。
ほんの数ヶ月前にある方に「山に登りなさい」と言った。
山登りなどしたこともない方であったが、以来、山登りを続けてくれていた。
そんなある日、『木花之咲弥姫』の導きで「富士山」に登っていた。
「呼ばれた」のである。
ちょうど私が「最近、木花之咲弥姫がうるさい」と罰当たりなことを言って、とある方に浅間神社の御札を頼んだ日のすぐ後であった。
神の導きは「それ」とは気付きにくいものである。
言霊は「思い」の中に湧き出でる。
だから「自分の思い」と思い込む。
禍霊も同じ。
天狗もキツネも餓鬼も魑魅魍魎も同じである。
山を登っている過程で「心が浄化」されてゆく。
しんどい、つらい、あつい、さむいという感覚は、自らに取り憑いた余計な「霊」を祓うのにちょうど良い。
霊達はそんな感覚を味わいたくないから離れてゆく。
そうして「禊ぎ」が行われてゆく。
だから【神】と向き合える。
自分の「負の感情」や「負の感覚」から「逃れたい」というのは、【神】から離れるばかりであり、禍霊が喜ぶ行為である。
そんな人の心を知ってスピリチュアルの世界には、あらかじめ「毒の種」を撒かれていた。
「負の感情」から逃れるための様々な言葉たち・・・・
自分の「負の感情」に向き合えず、ただ「解消」することを「乗り越える」と言い換える。
そんな欺瞞の理屈に救いを求め、多くの人は道を外していった。
せっかくの「宇宙」からのメッセージを無視して・・・・
天王星の逆行は1月まで。
あと四ヶ月ほどである。
取り戻したければ「登る」ことである。
いやならそれでいい。
どんなに理屈で誤魔化しても、「登り行く」ものには誤魔化せない。
そんな時代に向かっているのである。
子供達に「王様は裸だ」と言われるのも時間の問題である。
世間を見ればわかるであろう。
「嘘がつけない」世界になっていっているのが。
それとも「嘘」をゴリ押しで押し通すのか?
今まさに世界はそうなっているであろう。
【誠】有る者と無き者
二線に分かれた世界
今そのただ中で
まだ自分に、他人に嘘をつき続けるか?
世の建て替えの大峠
登る者と逃げる者
好きな方に行かれるがよろし
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