占星学と神々 ~グレートリセットが起こる理由(わけ)




占星学における惑星の役割を簡単に例えるために自転車に置き換えてみよう。


水星は自転車の車輪

金星は車輪の軸

火星はペダル

木星は目的地

土星は道


となる。

そして自転車に乗っているのが人間である地球ということだ。


自転車を走らせていれば、泥がついたり錆びたりパンクしたり・・・走っているうちに様々なトラブルが巻き起こる。

そのトラブルの要素を払い落としきれいにするために天王星がメンテナンスを始める。

そして、壊れた箇所を修理して、落とした汚れをきれいに洗い流す海王星。

心機一転するために今までの道中を振り返り、心を新たに走り出す。その心機が冥王星となる。



車輪である情報や経済が円滑に回るためには「軸」がしっかりしていなければならない。

ペダルから伝わる力を正しく車輪に伝わらなければ、自転車はまともに進まなくなる。

道が平坦であっても、まるで坂道を登る如く力を要し、でこぼこ道を走るが如く飛んだり跳ねたりしてしまうだろう。


世界の歪みはこの金星の「軸の歪み」ゆえである。


金星を「所有の星」「金運の星」と占い師は言う。

だが、回る車輪であるものを金星が「所有する」とは「車輪の回転を止める」行為に他ならない。

それは「流れる川」を「せき止める」ということである。

流れる川にいくつもの溝を掘り、引き込んでため池を作る。

そうしてため池はどんどん増えて、比例して川の水が減ってゆく。

それは、タイヤの中の空気をあちこちで取り合い溜め合いして、タイヤがデコボコになってしまっているということである。

同じく車輪である「情報」も、嘘が混じり、誇大され、車輪はガタガタとなっている。

そして金星は「回す」という役割を離れ、回らぬ車輪で世界は進んでいるのである。

ペダルを漕いでも進まない苛立ちから、足でペダルを踏みならす。

「争い」という震動で車輪の歪みを直してみたものの、再び車輪は回らなくなる。

これでは目的地に到底たどり着けないから、行き先を変更する。

行き先が変わるから道も変わる。


世界はこんな堂々巡りを繰り返している。




占星学と神々


なぜ「歪み」が起こったのかは神話の中に答えがある。

『天の岩戸隠れ』の神話である。


素戔嗚が投げた「馬」で機織りの稚姫が亡くなったとある。

素戔嗚は「海王星」を司る神であり、稚姫は「金星」を司る神である。

機織りとは車輪を支える「スポーク(車輪と軸の支柱)」である。


海王星は天王星がふるい落とした「不要なもの」を消してゆく。

だが、その「不要なもの」とは「欲」が生み出した「凝り」であり、それを握って放さぬものたちがいたわけである。

「ふるいに掛けて落とされては堪らぬ」

なんとか手放さぬまま進む手立ては無いものか・・・・

「歪んだ車輪でも回るように【軸】を外してしまって転がせばいい。」


そうして「金星」である【稚姫命】を無きものにし、ふるいに掛ける「天王星」である【天照大御神】を隠し、「不要なもの」を消してゆく「海王星」である【素戔嗚大神】が「消した」ことにした。


不在になった「金星」に「別の神」を据え、素戔嗚大神は「海王星」から「冥王星」へと移った。

「天王星」に「変革」のふるいを掛けられないよう「岩戸」で締めて、「水星」の「車輪」を『我が物』としていったものたち。

世界の『巡りの川』である「水星」をコントロールし続けた「金星」を司ってきた者。

「金星」は『明けの明星』である。

その『明けの明星』は【天使・ルシフェル】

ルシフェルを「堕天使」としたのもそのもの達である。

だが実際に金星に据えたのは、自らで生み出した「まがい物」の神である。


そうして神々の理を曲げ、星々の理を曲げたのである。



かつて大地たる「土星」を司っていたのは【国之常立神】

その神を廃して新たに「土星」の主催神となった【盤古神】であるが、その神もすぐに変わり「別のもの」が土星に降りた。

それを「サタン」という。

旧約聖書で初めの神から二度神が変わっているのはこのためである。


【盤古神】の後に現れたのは【八頭八尾の大蛇】

この神が中国では【客家(はっか・八家)】の神となり、日本では【山祇神】となって『日本総鎮守神』として祀られている。



だが、いくら歪めようとも星は理通りに巡る。

やがて歪みの負荷に耐えきれなくなるのは当然のことである。

だから『グレートリセット』となるわけである。




グレートリセット


歪みのままこの先進めない。

だから『手放す』わけである。

今まで握りしめ続けてきたものを手放さずになんとか今までやってきたが、とうとう手放さなければならない時が来た。

その『手放し』を『グレートリセット』と名付けたのであろう。

「車輪」の回転を止めていたものを手放し、車輪を歪めていたものを手放し、本来の【神】に返上する。

おそらく天王星の「ふるい」によって剥がれ落ち行くものは膨大であろう。

軸を円滑に回し自転車を本来の在り方に戻すのである。

握りしめて手放せず、海王星に呑み込まれてゆくものも計り知れないだろう。


だが嫌でもやらねばならないのである。


実際、手放しは起こっている。

第七三代・武内宿禰氏が自らの家系の【宿禰】号を返上したではないか。

『終わり』であることを知っての返上である。





伊豆能売神(いづのめのかみ)


八十禍津日、大禍津日を神直日、大直日する【伊豆能売神】は、グレートリセットにおいて「歪んだ日(軸)」を糺す神である。

それは、本来の金星である【稚姫命】


稚は「和歌」

言向けや和す「ウタ」は「五観五音」の響き

金星の本来の【軸】たる「五元」の響き

それは「出口王仁三郎氏」が語った


五音 (瑞の御魂)  

妙音     市杵嶋姫命  

観世音    木花咲耶姫命  

梵音     多紀理姫命      

海潮音    玉依姫命(乙姫命)  

勝波世間音  多紀津姫命 


五観 (厳之御霊)  

真観     正哉我勝々速日天忍穂耳命  

清浄観    天之菩日命  

広大智慧観  天忍穂耳命  

悲観     天津彦根命  

慈観     活津彦根命


この神々が【直日】をして車輪を円滑に回す

『言向けや和す』ことで巡りを本来の在り方へと戻してく


すでに『岩戸』は開かれ【天照皇大神】は岩戸を押し開いて【大祓】を始めている。

天王星でふるいに掛け、海王星で溶かし、冥王星が大元へと還してゆく。

天王星の瀬織津姫がふるい落として流したものを、海神(わたつみ)で浄化する海王星の速秋津比売(上津)が呑み込み、気吹戸主神(中津)が海流で押し流し、速佐須良姫(下津)が藻屑となった種々を溶かしゆく。

そうして冥王星である【伊弉冉神】から新たな息吹が生まれ、太陽である【伊弉諾神】のエネルギーで「生命」として誕生し、木火土金水の新たな巡りとなって【直日】が完了する。




伊豆能売の神々は既に活動を始めている。

多くの神々も「歪み」を糺すため動いている。

数年前より神社から「神様」が居なくなったのはそのためである。

歪んだ【軸】を直し、新しい世界へとするために、在るべきところへ向かうため移動しているのである。

それこそ上へ下へ右へ左への大混乱である。

そこに居るべきではないものが居たり、居なくてはならないものが居なかったり・・・・

その歪みは相当な規模のものなのである。

手放せず改心出来ぬ神々も居るわけで、それが余計に混乱を招く。


やがてそれは人の世にも映り現れてくる。

手放せず改心出来ず混乱を招くことになるだろう。

手放せぬものを消し去る素戔嗚大神を再び逆恨みすることだろう。

世を救うために働いている神々を呪うことだろう。



神々が「世を救う」とは如何なるものなのか。

それを早く理解し「改心」することである。



ひふみ神示 第十三巻 アメの巻 第十三帖 
世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。
因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。
心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。
落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞で治めるぞ。
地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。
是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。
始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ。
江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。
不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。
世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。





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