濁り水 禊ぎ祓い 《癒奏術・水月抄》
「思い」は純粋であるか?
思いの純粋さとは 「ただ一点の『思い』を貫く」こと
その一点以外の『思い』があるならそれは『濁り』である
たった一つの『思い』のために、その他の思いを削いで削ぎ落とす
それが『禊ぎ』というものぞ
一点の曇り無き『思い』を貫いて
天神様の細道へ通ずる『針穴』を通る
象のように膨れ上がった「思い」の数々を削ぎ落とし
禊ぎ祓いて身を清め
我が身を『清水』と成す
神が降りるは清き水だけ
水が濁れば「霊懸かり」となる
純粋無垢の「思い」の中に
神の言霊流れ来る
凪いだ清水に映る月光
曇り無き 歪み無き 神の言霊写し取る
いくら言葉を飾れども
濁り水では霊懸かりなり
我が霊と禍霊の区別もつかず
鼻高天狗となり果てる
純粋無垢の清水の心が
純粋無垢の身を纏う
清水となれば濁り水など
言葉無くとも映り来る
二つも三つも四つも五つも
思いが縺れて針穴通れぬ
針穴抜けねば神とは会えぬ
禊ぎ祓いて濁りを清めよ
「たった一つを成し遂げる」
「成し遂げるまで諦めぬ」
「一本道を真っ直ぐ進む」
それが出来ねば針穴通れぬ
あっちふらふら こっちふらふら
目移り 寄り道 引き返し
持て余したる「思い」を転がし
舌先三寸語れども
針穴通りておらぬゆえ
言葉に重みが無かりけり
なり振り構わず一心不乱
一点突破をするまでは
我慢に我慢を重ねゆき
たどり着くまで歩を進め
身削いで巳削いで禊ぎゆき
清水と成れれば富士は晴れたり
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