思いの根 《癒奏術・水月抄》




感情とは目の前の現象で開く華

開いた華が咲く大地は如何なるか?




「喜びを追う」ということは、根を張る大地に喜び無く、乾いている故その幹は、覇王樹(サボテン)と化して水求む、もしくは華そのものが、命を食らう華となる。


思いの根を張るその大地、乾いた過去の思いを生んだ、記憶に根を張り抜け出せず、喜びの無き想い出に、根を張るが故に喜びを追う。


時を止めたるその華が、喜び咲かせるわけは無し、追いかけているは喜びに非ず、恨み辛みへの徒花(あだばな)、思いの仇(あだ)を獲るために、追いかける姿「獣」なり。


ゆえにその葉がその華が、命を蝕み喰らい行く、仇(かたき)を討ちたる喜びに、包まれんがため追いかける。


仇討ちても思いの根、時が止まりた記憶の大地に、根ざしたままではいつまでも、飢えと渇きの餓鬼となる。


喰らえど喰らえど飢えは癒やされぬ、徒花咲かす喜びに、囚われたその思いの根、新たな大地に根を張り替えて、ただただ命を繋ぐべし。


潤う大地に根を張りて、日月の光を浴びてれば、おのずと華は咲いて行く、追いかけずとも咲いて行く、ただただ命を「繋ぐ」だけ。


ただただ命を繋ぐとは、巡りの流れに逆らわず、天上天下唯我独尊、おのれを曲げねば華開く、おのれの華が咲き誇る。


おのれを曲げぬと言いながら、根を張る大地を曲げぬゆえ、飢えと渇きは癒やされず、堂々巡りを繰り返す。


思いが善でも大地が悪なら、悪の華しか咲かぬもの、思いの根っこがどこにあるのか、しかと確かめ思いの根を知り、その「喜び」は善か悪か、掴んで話さぬ執着が、根を張る大地と為りているなら、その手を放して風に委ねよ、新たな種を風に委ねよ。


委ねて飛んで落ちたるところが、新たに始まる大地なり、たとえどんな場所であれ、大地に降りれば華開く、新(さら)の心で巡りに乗りて、天上天下唯我独尊、おのれを伸ばせば華開く。


喜怒哀楽は開くもの、追いかけるものにあるまじき、春夏秋冬巡り感じて、湧き立つ雲の如く開くが華、華厳に至る道の肝なり。



喜びは思うものに非ず、ただただ感じるものである。




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