自分の中の春夏秋冬 《癒奏術・水月抄》




「twitter」や「amazon」が大量の人材を解雇し始めた。

新たな時代に向けていち早く動いたような流れである。

「ふるいに掛ける」というのがもっとも合っている言葉だろう。

しっかりと自分の『爪』を研いでいたものは簡単にはふるい落とされない。

また、意地でも掴まり続ける「思い」が無ければ、この先の「ふるい」には耐えられないだろう。

そして、何度もふるいに掛けて、それでも残る者は「真の仲間」ということである。



火水(ひみず)の「ふるい」

愛と情けを分け隔てる「ふるい」である。

「残る」ことが「勝者」ではなく、「自愛の道」を見つけるための「ふるい」なのである。

「残る」ことが「自愛」ならば意地でも離さぬだろう。

「自愛」が他所にあるなら他所へ行けば良い。

それだけのことである。


「解雇」を『悪』とするのはおのれの単なる情け心、甘え心である。

「本気」がないのにいつまでもしがみつくだけのものを「ふるい」に掛けただけである。




この先、求められるのは「風を起こす」ための『火』

情熱の炎が自分の中にあるものだけが「自愛」の道へと進んで行く。

恨み辛み妬み嫉みの情けの水は要らない。

それらは「風」を消し去る要素。

喜怒哀楽の感情は巡りてエネルギーとなるが、滞留すれば「情け」となって沈んで行く。



要は「二線」の分れの現れ始めといったところだろう。

誰かを「悪」にしている時点で「情け」の泥船に乗っていると知るべきである。

過ぎた過去にしがみついていると知るべきである。



「自愛」と言いながら他者を傷つけるということは、その「自愛」自体に「愛」は無く、おのれを傷つけていることを知るべきである。

そして、その「傷」を舐め合うのが「愛」であると錯覚していることを知るべきである。

自分の痛みを相手にも押しつけ、同じ傷を持つ者同士「舐め合う」という、気持ちの悪い「情け」の繋がりである。





「愛」は「焔(ほむら)」

その「火」が巡り生まれる「水」が「慈愛」

それを自分に対して行うが「自愛」である。

やる気に火がつき踏ん張り伸びて華を咲かせる。

「木火土金水(きひつかみ)」の結びの神々

その男の姿と現れるが伊弉諾大神、女の姿と現れるが伊弉冉大神。

天地、火水を結ぶ。



怒りとは火打ち石の石を打つということ。

留まらねば喜びへと巡るが、留まるゆえ恨み辛みとなる。

喜びとは発火することである。

留まらねば喜びを大地と出来るが、留まるゆえ火を絶やさぬため燃料となるものを求めつづける「欲」に囚われる。

喜びが過ぎ去った大地は寂しく悲しい。

その思いに留まるゆえ逆戻りしようとしたり、悲しみを見ないようにして留まり、それがやがて「恐れ」となって潜在する。

ゆえに「悲しみ」を味わい、そこから更なる「喜び」へ昇華していくが「弥栄」である。

だが「恐れ」に負けて手前の「悲しみ」に留まり、巡りを止めてしまう。

だが、「恐れ」の先に再び火打ち石を打てば再び火が灯る。

そうして巡りを止めぬのが「愛」である。





【焔】とは「炎の真ん中」

微動だに揺るがぬ火の根

自分の「情熱」の「根」である。


「火」に「根」が無ければ「情熱の炎」とはならない。

微動だに揺るがぬ自分の真ん中に「根」があるか?

ということである。



「恐れ」から「喜び」へ逃げ込むは「相克」であり、巡りを壊すものである。

「恐れ」たならば自らの「堅い意思」を持て。

その「意思」を打ち鳴らせ。

そうして「情熱」の火を灯せ。

「意思を貫く」ことが本来の「怒り」である。

イライラ、ウダウダ、ネチネチするのは「悲しみ」の「相克」から生まれた「怒り」であり、「喜び」に逃げんとするための「怒り」である。

元来の「情熱」を燃やすための意思の「怒り」に非ず。



不動明王の「憤怒」は「情熱」を燃やさんがための強烈な「意思」である。

恐れを蹴散らし喜びへと巡らせるための強い意志が不動明王の「憤怒の相」である。



怒り、喜び、思い、悲しみ、恐れには「善」なるものと「悪」なるものがある。

善なる悲しみは「侘寂(わびさび)」となり美しく昇華する。

「恐れ」は「終わり」であると同時に「始まり」である。

留まれば始まらず、進めば終わりは始まりへと転化する。

すべては「巡る」が善であり「留まる」が悪となる。



春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり


怒りも悲しみも、悩みも恐れも、皆 美しい


春夏秋冬愛でる心が 慈愛の心

それが「自愛」の心である。

喜びも悲しみも、恐れも怒りも等しく愛で、自分の中の季節を巡らせる。

それが「自愛」である。




巡り弥栄える者と、留まり弥栄えぬ者を振るい分ける世界となった。

選択(洗濯)の刻である。



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愛は火

在るべく在るための火 

人の愛は純真な心から発する火 

その火に人の想いが重なり情熱の炎となる 

それは慈愛の炎となって 

凍てついた心の檻を溶かし 

消えた火種にふたたび火を灯す

     ・・・・・木花咲耶姫



華厳の道 【愛の焔】ー木花咲耶より


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