『自由の翼』 《癒奏術・水月抄》




『自由』という同じ言葉を使っていたとしても

人が違えば『自由』の姿は全く違う



様々な人の様々な『自由』の言葉の『姿』を見てきたが

結局の所、そのほとんどが『塀の中』の『自由』でしかない

『塀の中』という「安全」から外に出ることの無い『自由』

誰が作ったかも知れず

誰が管理しているかも知れぬ『塀』を「安心」と位置づけて

その中だけで『自由』を謳歌する

そんな『自由の姿』ばかりである



『塀の中』という「箱庭」から抜け出せない

『みんな』という「箱庭」から抜け出せない

抜け出せない『自由』とは『自由』なのか?



箱庭から抜け出せない者の口からいくら『自由』を約束されても

『自由』になどなれない

本当の『自由』を知らぬ者が、昨日も今日も明日も『自由』を語る

『みんな』という「安全」な塀の中

その中だけの『自由』


占い師達が

スピリチュアルリーダー達が

『箱庭』の『自由』を高らかに語る




多くの者が『塀の中』から抜け出せない

『箱庭』を飛び出す勇気を持てない

『塀の外』なんて在りはしないと、自分に言い聞かせながら

『飼われる自由』を選択し

『飼われる自由』を指し示す



輸入物のスピリチュアルには常に『塀』が付きまとう

DNAに刻まれた『塀の中』こそ『安全世界』

『安全世界』と引き換えに『自由』を【制限】されることを【良し】とした

そんな『自由』である




『塀の外』を知るものは

それが『自由』では無いことを知っている

『自由』に羽ばたき『塀の外』に広がる広大な世界へ

飛んで行ける



塀の外へと飛んで行ける者と行けない者

『自由の姿』が全く違う

【翼】が「有る無し」ほど違う

【翼】を手に入れた者と 手に入れられない者

『自由』の意味が全く違う



塀の内にある者は 自由を当たり前のように制限する

塀の外にある者は おのれの自由に責任を持つ

自分が「どちら」に居るのか

知ることである



翼を持つ者

それが2分(にぶ)

自分の意思の「柱」が

「自分」にあるか

「みんな」にあるか


選択に「みんな」が「まわり」が・・・という思いが付きまとうなら

翼は無い

人目を気にして 周りを気にして 答えを探しているなら

翼は無い



翼ある者は応え行く

自分の思いに応え行く

ただただ『自由』に・・・・・