【ホ・オ・ポノポノ】~陽気を鎮め陰気を養うもの 《癒奏術・華厳の章》




今日は2月3日の節分

いわゆる大晦日・・・ということで朝から神棚の神様方と「大祓」

壮大な景色を拝ませてもらいました。





人は気の陰陽のバランスが大切だが、知らず知らずのうちにそのバランスが大きく崩れてしまう。

特に現代社会は人に「陽気」を強制するところがある。

そのせいなのか、現代の子供達は逆に「陰気」を強制されているところが見受けられる。


大人たちが陰陽のバランスを欠いていて、そのことに気付かないまま「自分の足りないもの」を子供達に知らずに強要しているのであろう。

それが「良いこと」と思って。


だが、何でもそうであるが「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。



「ホ・オ・ポノポノ」というものが流行っているが、これは元々「受刑者」に対して行われたものである。

彼らは子供の頃から「与えられず」「感謝されず」「愛されず」「謝罪されない」、そんな幼少時代を過ごしたために『受け取る』ということを知らない。

その『受け取る』というものが「陰の気」である。

彼らは気の陰陽のバランスを欠き、「破壊衝動」という「陽気」が溢れている。

「奪い取らなければ受け取れない」

受け取るにも「陽気」が必要なわけである。

その「陽気」を静め「陰気」を養いバランスをとるため「受け取る」言葉を「型稽古」するように「ホ・オ・ポノポノ」の「受け取る言葉」を繰り返して欠落した「陰の気」を養う。

そうして気の陰陽が整えられる。


これを「引き寄せ」という「陰気」に併せて増幅する装置として利用しているスピリチュアルというものは、「陰の気」に満ち満ちている。

バランスを欠いた「陰の気」を纏う人が増大しているということである。


現実の世界で欠落した「陰の気」を、別の形で代償しようとしているわけである。

だがそれでは決してバランスは取れない。

欠落しているものは欠落しているところで補わなければならない。

「愛され」「感謝され」「謝罪され」「与えられて」いるものが、それらに気付かずさらに「要求」しているようなものであり、それでは「陰気の亡者」と成り果てる。

それゆえ現代は『餓鬼亡者』がウヨウヨしているわけである。


「もっと、もっとよこせ・・・」

「ホ・オ・ポノポノ」の美しい言葉は「亡者のうめき声」となる。



「陽気」を強要する現代社会の中心に、巨大な「陰気」が存在している。

それが人々を「陽気」に走らせているわけである。

だがそれは「誰か」が放っているものではなく、「自分の心」が「もっともっと」と「陽気」を要

求しているだけである。

そうしてバランスを欠いた陰陽を鎮めるために、「奪い取る」ように「陰気」を放つ。

それはまるで「受刑者」たちのようである。


そう、現代人は「受刑者」なのである。

何の罪も無く刑を受けている。


では「刑」を与えているのは誰か?

それは他ならぬ「自分自身」である。


自分で自分を罰し、自分で刑を負い、自ら飢え渇き、その代償を「誰か」に求めている。

誰かを罰し、誰かに罪を着せ、誰かの飢え渇きに安堵する。

そんな者達が引き寄せあって群れを成す。



飢え渇きの「思い」は「餓鬼亡者」を引き寄せる。

そこは天上界からほど遠い地の底。

「陰の気」渦巻く『坩堝(るつぼ)』である。



そこに居る者が圧倒的に大多数なため自分が居る場所がどんな場所なのか気付けない。

そして、そこに押しとどめているのが自分自身であることにも気付けない。

気付けないから抜け出せない。

どんなに美しい言葉を並べても、そこは天上界からはほど遠いのである。