【霊身一致の弥勒の神人】~クンダリーニとチャクラの開花 《癒奏術・華厳の章》




例えば・・・

【龍】という「この世」と「かの世」にまたがって存在するものがある。

【龍】とは『霊』というエネルギー体であるが、ただの『霊』ではない。

この世とかの世にまたがり影響を及ぼせる『幅の広い』エネルギーを持った『霊』という存在である。



ただの『霊』には三次元に直接干渉し得る力は無い。

例えば、人の浮遊霊は四次元でしか存在し得ないエネルギー体であり、それは四次元領域のエネルギー幅しか持たないためである。

だが、龍とは概ね三次元から五次元までのエネルギー幅を持っている。

高級な龍神になれば七次元までのエネルギー幅であろう。



高次元の神々は次元間を移行する際に『龍体』に転化する。

七次元領域では人の姿を顕すが、五次元領域では『龍体』である。

だが、『龍体』では不都合なことがたくさんあるため、そのために『分霊』を五次元に置く。

その五次元の分霊も、さらに三次元へ移行する時はやはり『龍体』となる。


では、人の身に五次元の神の分霊を宿すにはどうするのか?


それは、三次元の人の「霊」が五次元存在となることである。



三次元の身に五次元に存在しうる『霊体』を持つことで、五次元に存在する神の分霊と『結ばれる』ことで、神の分霊も三次元の身に宿ることが出来る。


三次元から五次元までのエネルギーの幅を持った霊体となるということは、それは【龍】と同じエネルギー幅を持つということである。

これが【龍神和合】【神人合一】の姿である。



だが、実際にそれだけのエネルギー幅を持つことは容易ではない。

しかし、「クンダリーニ覚醒」と「チャクラ開花」という二つの覚醒が、霊体の幅を三四五次元帯域へと押し広げる。


「クンダリーニ覚醒」は【龍】の覚醒であり、それによって【龍】と同等のエネルギーを獲得する。

だがそれだけでは三四五次元へと繋がらない。

それを繋ぐのが『チャクラ』である。

第一番の地のチャクラから第七番の天のチャクラまで開花して初めてクンダリーニの【龍】は天界への扉が開かれて行き来できるようになる。

その扉が無ければ虚空を彷徨うだけである。

七次元の神の導きがあって初めて五次元へと上がれる。




五次元とは【言霊】の世界

第五チャクラが司る世界である。

第七チャクラが開く時、【天の岩戸】は開かれ【神】の導きが訪れる。


第二、四、六の次元は広大な虚空の領域

上も下も右も左もわからない。

ゆえに霊たちは彷徨う。

導きが無ければけっして上へは上がれない。


その広大な領域を通り抜けるために【神】でさえ【龍】となる。

ゆえに人も【龍】とならねば五次元へは易々と上がれない。




【龍神和合】だけでなく、様々な施術をする際、私自身【龍体】となる。

それは瀬織津姫の龍の色

桜色の龍である。

白い山桜からマゼンダピンクまで、色の帯域がある龍。

それを垣間見る人もある。



【霊身一致】から【神・霊・身 三身一致】するために、人は【龍】とならねばならない。

自らの霊身に【龍】を産み、導きの神の龍に和合し、三界にまたがる存在となってはじめて【弥勒の神人】となる。




クンダリーニもチャクラも三次元の器官ではない。

この世とかの世にまたがる器官である。

ゆえに体だけ整えても開花はしない。

霊体を整えるために「魂を磨く」必要がある。

自らの霊体が身体に劣っていれば、上位のチャクラはけっして開かない。

体を磨き、心を磨き、精神性を磨いて初めて上、中、下のチャクラが連動する。

それらが連動した時、シヴァがシャクティを呼ぶ。

シヴァの呼び声に誘われ、シャクティが駆け上がる時、自らの【龍】が覚醒する。

滞りのない体、囚われのない心、穢れのない精神

一二三、三四五、五六七と開く梅の花はチャクラの花。

第一番から第七番まで真っ直ぐ繋がった『柱』を【龍】が昇る。


そうしてようやく【弥勒の神人】が誕生する。