【TOKYOスピリチュアル】~価値を無くした人の群れ 《癒奏術・華厳の章》
人波に溺れ呑まれて 右を見ても左を見ても 人、人、人・・・
あまりに人が多すぎて 人に飽いたる人々
人に価値を見いだせず ゆえに人を見なくなる
自分がそうであるように 他人もそうであるだけ
自分が他者の価値を見いださぬように
他者も自分の価値など見向きもしないだけ
承認されたき欲求は 人に飽いた人々の思い
百円均一で並ぶものの如く そこかしこに並ぶ人波
そこに自分も並んでいるだけ
自分の価値があるというなら 他者の価値をまずは認めよ
人に飽いたその心 孤独の中で取り戻すべし
引きこもりたる若者は 孤独の中で自他の価値を
自ら取り戻しているのである
自分の値打ち 自分の価値など 取り戻しても意味は無し
取り戻すものは「衝動」 人を求める「衝動」である
人は人との関わりの 中でしか生きられぬもの
その関わりが100均の 陳列棚となっている
自ら他者に与えた価値に 自分も収まっているだけのこと
どれも百円であるから 我も百円の価値となる
自らで自らに与えた価値に自ら苦しみ
認められたき飢えと渇きを起こし
餓鬼の如く価値を追い 堂々巡りを繰り返す
見ざる聞かざる言わざるで 人に飽いたる自分の姿
それが他者へ投影されて 認められぬ自分が生まれる
赤子が親に縋る如くの 大人になれぬ餓鬼となる
認められたき餓鬼の群れ 自分の価値を求めて彷徨う
彷徨い行き着いたその先が 「TOKYOスピリチュアル」
「私を見て」と赤裸々に 裸祭りで踊る人の群れ
そんなに自分の価値が欲しくば 思春期の引きこもりを見習い
孤独の中で見つけ出せ 忘れ去った「衝動」を・・・
人を愛していた頃の 人を求めていた頃の
ありのままの「衝動」が 人に価値を見いだす心
一人一人を確と見る目が 自分の価値を取り戻す
認められたきその心 人を認めぬ自分の姿
自分を認めてくれぬ他人は 自分の姿の映し鏡なり
岩戸開けばその「型」が 御魂の「型」と鳴り成りて
飢え渇きたる餓鬼の姿が 御魂の姿と相成るぞ
黄泉の姿が重なりて 自分の「型」が決まるのぞ
御魂の姿 確と見よ 鏡に映して確と見よ
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