【太しき宮柱】~柱の陰陽 《癒奏術・華厳の章》
男の柱は曲がりはしないが折れやすい
女の柱は折れはしないが曲がりやすい
ゆえに陰陽和合せねばならぬ
陽気の柱は火の柱
陰気の柱は水柱
陰陽和合し【神(火水)】とならん
陽気ばかり盛んなれば争い起こる
陰気ばかり盛んなれば情けに溺れる
どちらも【悪】なる姿なり
火が水を受ければ消える
水が先に立てば火は起こらぬ
火が先に立ち水が受けるが正しき在り方
伊弉諾神と伊弉冉神の正しき在り方
後先正しき火水の在り方
逆さなればヒルコ生む
クンダリーニの呼び声も
シヴァがシャクティ呼び起こし
神人和合の柱立つ
天地を結ぶ真っ直ぐな火の柱
地天を結ぶ螺旋の水柱
火水結ばれ太しき宮柱成る
愛の火の意に
言事結ばれ誠成り
慈愛の神人生まれ出ずる
思いの中に喜怒哀楽の
情けの水が溢れなば
火は消えヒルコが生まれ成す
ゆえに憤怒の火をもって
情けを抱いて昇華して
恐れを祓いて言事結ぶ
愛をもって情け抱けば
怒りは光と生まれ変わる
愛ゆえ怒り 愛ゆえ光る 誠の柱
恐れの情けに溺れるゆえに
空気を読んで自分の火を消し
承認されたき情けに溺れる
喜びの情けに溺れるゆえに
見ざる聞かざる言わざるの
情けで愛の火が消える
自分を曲げる情けの陰気
火がなければ曲がるばかりの
螺旋の水柱なり
自分で在るという炎
陽気の火柱盛ん過ぎれば
争い生みて壊れ行く
火水の割合 五分五分ならず
火が三 水が二 正しき結び
天地の在り方
頭だけで考えるは「思考停止」なり
体を使い五感を使わねば「思考」は「至高」とならぬ
人は「教え」で「思考停止」す
「教え」は「型」
「型」は「枠」
「枠」は「檻」なり
「檻」から出られぬ賢き人ども
「檻」の外は見ざる聞かざる
ゆえに情けで水浸し
思考停止の「教え」の世
思考を至高とするが「道」の世
道を歩きて思考が動く
思考が至高となりて天地柱立つ
道を歩きて地天柱立つ
火水の柱 太しき宮柱立つ
宮柱立ちて三四五(ミヨイヅ)の
千曳の岩戸開き給い
五六七(ミロク)の天の岩戸が開く
ひふみ神示 五十黙示録 至恩(シオン)之巻
第八帖
ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。
第九帖
千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。
第十帖
国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。
第十一帖
いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
第十二帖
判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
第十三帖
死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
第十四帖
八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。
第十五帖
神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、地(智)の下になって了ふのであるぞ、12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのぢゃ、012345678910が【マコト】と申してあろうがな。裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。
第十六帖
太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に・(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。
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