二分し行く世界の先へ 《癒奏術・水火土の章》





ロシアのウクライナ侵攻から始まった「世界の二分化」は、1年以上の時を経て色濃く明瞭になるとともに、二分化された世界の綱引きが続く。

それはまるで「オセロゲーム」のように、白が黒に、黒が白へとひっくり返る様は、両陣営の綱引きの表れである。

その象徴となっている「トルコ大統領選」は、世界中が注目する中で「綱引き」の「中心線」のようになっている。


ウクライナ侵攻に対してロシアに制裁を発動させた国々は、かつての「第二世界圏」であり、その中に日本も含まれる。

そして、ロシアに対して制裁を見送った国々は「第三世界圏」として新たに産声を上げた。

その第二世界と第三世界の綱引きは、「中東」においてオセロの白黒の色を目まぐるしく塗り替えながら最終段階へと突入した。




この「二分化した世界」は『神界の写し』でもある。

出口王仁三郎氏が垣間見た『神界の戦争』の表れそのもの。

そこでは、二つに分かれた「悪神軍団」として描かれており、最初に没落し行く「悪神軍」が「第二世界」・・・つまり日本が置かれている場所である。

そして、第三世界の「悪神軍」と国常立神の御霊である「大八洲彦軍」との最終戦争へと移行する。


第二世界の悪神に阿(おもね)った神々は、悪神と共に消えゆく。

そして、第三世界の悪神に阿った神々も、同様に消えゆく定めである。


たとえ日本人であるとしても、第二世界、第三世界に阿った者たちの魂は、悪神と共に滅びゆく運命であろう。


この現世での行動はそのまま「魂の在り方」と直結している。

現実世界でどちらかに「阿(おもね)る」ということは、すでに魂が、自らの守護神が「悪神」のほうに寄り添っているということである。

自らの「魂」に還りながらも「阿る」ことから抜け出せないなら、すでに「守護神」が曲がっているということである。




誠の神の道とは「茨の道」であろう。

自分の魂の在り方を貫くことは「茨の道」である。

流されて染まるほうが楽である。

それでも「茨の道」を歩ける者こそ、守護神共々「誠の神」と共にある。

それは、「在るべく在る世界」の姿を心に描き、けっして譲ることのない魂の意思に従って進むこと。



第二世界でも第三世界でもない「在るべく在る世界」

それが「高天原世界」


それが心に在るか?


「高天原」の光をその身に映す「月」と成れるか?


「高天原」の日の光を映し行動するとき、人は「月神」となる。

「高天原」に存在する自分の「写し」としての自分となる。

そして「日月の神人」となる。

それが「ミロクの神人」


そう成らなければ、成れなければ「ミロクの世界」は現出しない。



自分の魂は曲がっているのか、真っすぐであるか・・・・

「誠の神」に届いているか・・・・


真っすぐに、誠の神に届いていないなら、魂に還っても「悪神軍団」である。