【御魂の立て分け】~素戔嗚神の十拳劔 《癒奏術・煉獄の章》
『立て分け』は『浄化』のために「きれいなもの」と「きたない」ものを『分ける』ことであり、それが自然の『循環』の中にあるからこそ「巡り」は『浄化』されるのである。
それが無ければいつまでも「汚れた」ものが循環し続けることになる。
一度汚してしまえば「汚れ」はそのままになり、さらに汚せば「汚れ」は増え続けるばかりである。
だから「立て分け」して「きれいなもの」と「きたない」ものを分けて、「きれいなもの」を循環に返し、「きたない」ものは更なる『浄化』の過程を経て、そこで「きれいに」なったものを循環へと返し、それでもまだ「きたない」ものは、更なる「浄化」へと進む。
これが『天地自然の理』であり、『神々の御神業』というものである。
この『立て分け』を今まで『陰ながら』行ってきたのが【素戔嗚神】である。
【国常立神】の創り給うた『天地自然の理』が無ければ、天地自然は一瞬で滅ぶ。
御退隠されたからといって『天地自然の理』は曲げられぬ。
だからやむなく『陰ながら』素戔嗚神が『立て分け』してきた。
本来、自分でしなければならないものを【素戔嗚神】に押し付けて、散々「きたない」ものを垂れ流してきた。
そうして長い年月が経ち、いつしかそれが「当たり前」となり、人も神々も自らを『立て分け』ることを疎かにしてきた。
『改心されよ』
国常立の大神は100年以上も言い続けてきた。
人々が、神々が「改心」するように、伸ばしに伸ばし続けてきた。
だが、それも終わりである。
もはや『陰ながら』行うことはしない。
『表(おもて)』に現れて「立て分け」する。
今までのような「ゆっくり」とした巡りの循環の時は終わった。
「次元が上がる」とはそういうことである。
「この世」と「あの世」の時間差は、過去のゆったりとした流れとは比ぶべくもなく速い。
だから「穢れ」は「即出現」する。
心の穢れは即現実化するのである。
それが「次元上昇」するということ。
だから、もはや「陰ながら」立て分ける悠長さは無い。
「表」で立て分けなければ「穢れ」は沸き立つばかりである。
心の穢れが即現実化し、現実世界に現れる。
ゆえに
『御魂の立て分け』
となる。
先延ばしに延ばし続けて一向に改まらぬ心
人々も神々も一向に改まらぬ
それらの御魂が「長蛇の列」をなして『八つ頭八つ尾の大蛇』となり、相も変わらず大口開けて「穢れ」を広げ続けている。
ゆえに
劔をもちて立て分ける
素戔嗚神の十拳劔が大蛇となった御魂を立て分ける。
「草薙劔」の御魂のものを、【天照大神】の『天』へ渡して弥勒世へと渡す。
御魂、改まるまで「お出直し」
清くなるまで巡りに戻さぬ
今まで、自分がしなければならぬことを素戔嗚神に任せて安穏としてきた御魂たち。
神も人も分け隔てなく、御魂を立て分け建て直しする。
陰ながら今まで「穢れ」を引き受けてきた【素戔嗚神】に感謝することになるだろう。
ひふみ神示 五十黙示録 至恩(シオン)之巻
第十帖 国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。
第十一帖 いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。
第十二帖 判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。
第十三帖 死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ、神々様も森羅万象の悉くが同様であるぞ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、今迄の八方的な考へ方、八方的な想念や肉体では生きては行かれんのであるぞ、十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
第十四帖 八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。
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