幽界御魂の霊懸かりたち~汚染された人の大地 《癒奏術・煉獄の章》《シェディング奮闘記》
この2年ほどは自分の体というものに徹底的に向き合わされてきた。
これも神の導きなのであろう。
自分の身体の奥の奥にまで意識を向け、微細な動きや流れを見続けてきた2年であった。
*コロナワクチン接種の推移
まずはワクチン接種の推移
1回目の接種は、早い人で2021年の2月だが、それらは医療従事者などに先行的に接種されたもので、一般には5月くらいから、そして2回目の接種がすぐ後から追いかけるように行われたことがわかる。
*1回目から4回目まで
そして医療従事者
*医療従事者の接種(2021年2月から7月まで)
次に、自分の体重の推移を見てみる
測り始めたのは2020年8月末からである。
その時はだいたい65キロ前後で推移している。
しかし、65キロ前後で平均的に推移していたものが、2021年2月27日に62.70kgとなった。
過去に体重の推移はあったが、概ね63キロ台から67キロ台の間を何十年も推移し続けている。
平均65キロという状態で、68キロになることもなければ、63キロを切ることもけっして無かった。
だから、この体重を見て自分自身驚いた。
そして、その後も63キロの壁を突破してゆく。
そしてついに・・・・
60キロの壁まで突破して59.80kgというところまで落ち込んだ。
ちなみに私の身長は180cmを少し超えている。
この体重の推移と同じように「体調」もどんどん悪くなっていた。
六甲山を登るために仕入れたロードバイクも、20221年の元日の日の出を見るために登ったのを最後にしばらく「封印」することになってしまった。
そして、危険水域に達した自分の体調と向き合いながらの日々が始まる。
とにかく「食べれない」という日々が続いた。
スッキリする意識とは裏腹に体調は悪化する。
一日一食が続いていたが、食べてもさして摂取されないほどに脾胃が悪化していた。
この頃に様々な「漢方」を試していて、ようやく落ち着いたところが「帰脾湯」であった。
そういった試行錯誤を繰り返しながら、その甲斐あって若干体重は戻り始めた。
2022年1月の61.90kgを最後に体重は戻り始め、3月ごろにはなんとか63キロという本来の最低ラインまで戻すことができた。
その背景には「仕事も休みがち」となり「人との接触は減っていた」ということもある。
だが・・・
5月のアタマ頃にとうとう「ぎっくり腰」を初めて患う。
内臓だけでなく、ずっと筋肉のこわばりも感じており、ほぐせどほぐせどほぐれない。
その極めつけが腰に来た。
その直後、体重が65キロを超えているのは「動けなくなった」からである。
完全休業状態で人とも接触しないと体重が増えていた。
その動けない引きこもりの間に本を出版することにして、ひと月足らずで出版まで完了出来た。
その2か月後・・・・
なんと体重は67.20kg
人と接触しないだけで一気に内臓のほうは調子を取り戻したようである。
だが、その後施術の仕事を再開すると、再び体重は下がり始め、63キロ付近をうろうろし始める。
筋肉のこわばりや、胃腸の不調が戻ってくることとなる。
そして現在・・・・
64キロくらいで推移している。
ちょっと体重を測るのを疎かにしていたが、3月4月は体調は回復傾向にあった。
だから再び六甲山を登ろうと思っていたのだが・・・・
5月に入って再び悪化し始めた。
ちょうどコロナが2類から5類になり、人々がマスクを外し始めたころである。
しかも6回目の接種も始まったことも追い打ちをかけた。
この2年の自分の状況と世の推移を鑑みて、もはや「シェディング」であることは「間違いない」と自分の中で『断定』した。
「推察」や「判断」ではなく「断定」である。
私は根っからの「探偵」である。
だから状況判断には厳しい。
たとえ自分のことであっても、いや、自分のことだからこそ厳しい判断基準を設ける。
そうして2年の自己の状況の推移をデータとして、「疑惑」は「確信」へと変わっていった。
そして、2年の歳月をかけて世界の状況は深刻であることを理解せざるを得ない。
特に何度も接種を続けている日本・・・・
もはや「スパイクプロテイン」という人の細胞を害するもので「汚染」されつくしており、もはやワクチン接種者のみならず、未接種者からもシェディングを受けるまでに「汚染」は広がっている。
シェディングのシェディングである。
どこにいっても「スパイクプロテインの曝露」が起こる。
そんな世界が出来上がっているのである。
スパイクプロテインが細胞を傷つけ、脳細胞まで破壊することはすでに証明されている。
風邪のウィルスに怯えて、それ以上危険なものをばらまいている様は、害虫を排除するために殺虫剤まみれの食物を食べる現代と全く重なる。
毒と薬のバランスもとれなくなっているのが現代人であろう。
薬となるはずのものでも、少しでも「毒素」が見つかると「毒扱い」をする。
その反面「毒」であるものに多少なりとも「薬効」が見つかると、逆に「薬扱い」する。
例えば、琵琶の種には抗がん作用がある。
だが、わずかな毒素を上げて「危険視」する。
青梅の種でも「200個」食べないと致死量には至らない。
琵琶の種ならもっと多いだろう。
アロマでも同じことが言われてきた。
経口摂取は「毒」であると・・・・
だが、それも牛乳瓶一本分飲めば・・・の話である。
その反面、率先して「被ばく」を受け入れる。
わけのわからないものを体内に入れることも惜しまない。
その結果が「スパイクプロテイン汚染」である。
毒は薬 薬は毒
この判断の基準をどこに置いているのか?
それが問われたのである。
「自分軸」と言いながらも、自分の中に「軸」がないために起こっている現状である。
「誰それが言っているから・・・・」
軸が「誰それ」なのである。
ひふみ神示 五十黙示録 龍音之巻 第五帖
幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。
ウィルスだけならさして広がらなかったであろう。
しかし、人々の想念はそれを生み出し、実体化させてしまった。
広がらないはずのものを広げてしまったのである。
自ら生み出した「幽界」に魂を置いてしまい、幽界の「霊」に懸かっているのである。
完全に悪神の「計略」に掛かったわけである。
ひふみ神示 黄金の巻 第二十九帖
二二の盗み合ひ、世の乱れ。心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。道は易し、楽し。楽しないのは道ではないぞ、奉仕ではないぞ。世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならんのぢゃ。それが順序と申すもの。神示で知らしてあらうが。ここは種つくるところ、種は人民でつくれんぞ。神の申すやう、神の息 戴いて下されよ。天の道、地の道、天地の道あるぞ。人の道あるぞ。何も彼も道あるぞ。道に外れたもの外道ぢゃぞ。前は一筋ぞ。二筋ぞ。三筋ぞ。曲ってゐるぞ。真直ぐであるぞ。心得なされ。節分から(オーヒツキオーカミ)と現れるぞ。讃えまつれ。三年の大ぐれ。かのととり。
人の言葉も「サニワ」しないのに、神の言葉のサニワなど到底及びもつかないであろう。
ひふみ神示 五十黙示録 五葉之巻 第七帖
昨日は昨日、今日は今日の風、昨日に囚われるなよ、人民の道は定まってゐるなれど、目の前だけしか見えんから踏み迷ふのであるぞ。薬飲んで毒死せんように致しくれよ、薬は毒、毒は薬ぢゃ、大峠にも登りと下りとあるぞ、馬鹿正直ならん、頭の体操、ヘソの体操大切ぞ。
この「現出」してしまった現実に対して、今後どのように取り組むか?
これを「誰かのせい」にする者は、未だ「自分軸」は定まっていない。
誰かのせいにする者は、得てして誰かに基準を依存している。
現実を受け止めないのは、未だ「過去」に縋っているからである。
まだ知らぬふりして見ざる聞かざる言わざるを決め込むのか?
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