【愛と曖】~『スイーツスピリチュアルとβ-エンドルフィン中毒』 《癒奏術・弥勒・序》
スィーツに群がる人々と、スピリチュアルに群がる人々は、「甘いもの」を求めてやまない。
「甘さ」の虜となった脳は、それが切れれば不安になり、再び「甘さ」を求める。
「甘さ」の虜となる「それ」は『脳内麻薬』の依存であり、「甘い」ものを摂ることで分泌される「それ」を求めて、甘い蜜に群がる。
「幸せ幸せ幸せ」と、二言目には「幸せ」語り、それを大義名分に「甘いもの」を過剰摂取する。
彼ら彼女らの言う『愛』は 「幸せ」もたらす『甘い蜜』
『βエンドルフィン』という「脳内分泌」する『麻薬』
悲しみも苦しみも痛みも恐れも怒りも忘れさせてくれる『それ』こそ【愛】
周りには「痛み」も「苦しみ」も「恐れ」も「孤独」も蔓延している現実で、それらを忘れさせてくれる『それ』こそ【愛】と『蜜』に群がる。
悲しみと痛み 恐れと驚き 怒りと勇気
それらはすべて大切な『気付き』
それらの「思い」をしっかりと味わわなければ
心の底から歓喜することなどない
愛は喜びだけに非ず
悲しみも愛 恐れも愛 怒りも愛
それらすべてが循環し 思いの中に「愛」が満ちる
昇華(消化)できぬ思いを抱えたままでは「喜び」さえも昇華(消化)不良
「悲しみ」「恐れ」「怒り」を残して「喜び」だけを昇華(消化)は出来ぬ
それらを昇華(消化)致さねば「幸せ」などにはたどり着けない
それでも「甘さ」は止められぬ 幸せ感だけが「愛」
消化不良の「愛」は『曖(あい)』
悲しみ恐れ怒りを覆い隠した「日蔭の喜び」
昇華(消化)不良の思いを残し 脳内麻薬の蔭に隠れる
幸せは 逃げた先にあるものに非ず
不幸の「因」を昇華(消化)した 先に訪れる「果実」の甘さ
砂糖(言葉)で無理に味付けし 甘さを増して浸る幸せは
昇華(消化)不良の「愛」ならぬ「曖」
ほぼほぼの スピリチュアルは「スィーツ店」
塩味効かせ 辛みを効かせ 最後は甘さ増し増しの蜜
より「甘さ」を感じるように より脳内から湧き出るように
悲しみ恐れ怒りを刺激し 甘さ増し増し蜜の味
「引き寄せ」を出汁にして 「喜び思えば喜び巡る」と
そこだけ抜き出し他を蔭に隠す スピリチュアルの蛇の罠
されどけっして忘れるなかれ 心の中に蓋した思い それらも巡って来るのだと
神の帳面 甘くはない 残した思いは「枷」となる
残った思いに引きずられ 黄泉を彷徨うことなかれ
甘いものの摂り過ぎは 闇(病み)を引き寄せる大本ぞ
糖尿病となりた身心 蜜を断たねば治す術なし
甘さばかりを追い求め 悲しみ 恐れ 怒りを放置したゆえ
それらが溢れて「示現」する それが「引き寄せ」本来の
『示現の法則』である
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