『蝕』~解せないきな臭さ 旧暦九月一日(10/15)新月日蝕 《癒奏術・奥宮》
とにかく解せない。
かつて調査を生業としており、様々な情報というものに接してきているから感じるきな臭さである。
モサドが気付かなかった?
あり得ないことだろう。
もしそれがあるとすれば「味方に裏切られた」ということになる。
ならばモサドは「裏切者」を徹底的に捜索するだろう。
それまで猪突猛進は控えるはずだ。
だがどうだ?
今にもガザを攻めかかる前のめりな姿勢は・・・
明日にも「ガザ北部」を制圧してしまいそうな勢いである。
かつてアメリカは第二次大戦に参戦するため日本に自国を一発「殴らせ」ておいて、それを大義名分にして戦闘に参加し、最終的に「原爆実験」までやってのけた。
かつて911テロにより「テロとの戦い」という大義名分をもって中東に参戦していった。
「一発殴らせる」ことが戦争の大義名分をつくるひとつのセオリーとなっているのだ。
今回、ハマスは武器を「ウクライナ」から入手したと自分たちで語っている。
さらに、ハマスを援助しているはずのイランが、今回のハマスの攻撃に衝撃を受けていた。
その情報がどこまで本当かはわからないが、火のないところに煙は立たない。
攻撃したことに驚いたのか、攻撃の内容に驚いたのか・・・
何に驚いたにせよ予想出来ないことが起こったのだろう。
イスラエルはここ最近ずっと「戦闘準備」を整えていた。
それは「イラン本国」を叩くためであり、そのための作戦と準備を何か月も続けていた。
作戦を『オクトパス・ドクトリン』という。
イスラエルの周りで騒ぐテロ組織は、イランという国の「タコの足」であり、「オクトパス・ドクトリン」は「タコの頭(イラン本国)」を直接叩く・・・というものである。
そんな状況の中で
「モサドが気付かなかった」
などと言われれば、疑わざるを得ない。
それこそが一番の「プロパガンダ」ではないのか?
モサドが「世界一の諜報機関」と言われるのは、彼らは機械に頼らない。
マンパワーに最も重きを置いている。
そして、モサドの諜報員は皆「スカウト」であるという。
ビジネスや様々な世界で成功するであろう人材をスカウトしているという。
まぁそれは30年前の話であり、今はどうかはわからないが、そこは恐らく変わっていないだろうと思う。
そんな彼らが「気付かない」となると余程のことであろう。
しかも、目と鼻の先にあるガザ地区で起こっていることであり、何年も前からガザにもイスラエル人は入っている。
海側にも境界線を設けて封鎖している。
そして何より「パレスチナへ入植」して圧迫していっているわけである。
イスラエルにとって監視の目が一番行き届いているはずのところである。
そんなところで「モサドが気付かない」などあり得ない。
灯台下暗し?
そんな怠けた環境ではない。
とにかく、この15日という『日蝕』は前々から『要注意日』と見ていた。
それは「世界」にとっての『要注意日』である。
だから仕事を再開するのを見送っているのもある。
非常にきな臭い。
突発的な「テロ行為」で起こったことなら収束するだろう。
しかし、このきな臭さは「裏がある」と確実に告げている。
なにか「別の思惑」で始まったのだとしたら、きっと大きな渦となるだろう。
実は、今年だけ年初からずっと【旧暦】で暦を見ていた。
それがこんなところで合致するとは思わなかった。
ユダヤ歴は日本の陰暦と同じである。
今年の天秤座新月の日蝕である10月15日は旧暦の9月1日である。
そして、私が一番引っかかっているのは「翌週の10月22日」で、旧暦では「九月八日」である。
その日を『最重要日』と見ている。
何もなければいいのである。
だが、世界は戦争に思いを馳せている。
だから潜像界にそれが映る。
3S(スリーエス)政策によって型を作られた人々は、その型通りに熱狂しているようである。
非常に嫌な感じだ。
ひふみ神示 水の巻 第九帖
富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。お山開きまこと結構。松の国 松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。めぐりあるから心配あるのぞ。めぐり無くなれば心配なくなるぞ。心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。金に難渋して負けぬ様にして下されよ。金 馬鹿にしてはならんぞ。あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ。旧九月八日とどめぞ。
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