【捨てる道】~乙姫命の型示し〈神人和合の型〉 《癒奏術・龍宮ノ章》




乙姫命の型示し 弥勒成就の神の道

『捨てる』心に道がある 乙姫命の型示し


すべては『事実』として示された『神人和合』の【型示し】である





癒奏術は苦心研鑽して磨いたのちに完成した『技芸』

愛情を注いで磨き育てた自分だけの技

それは自分の最も大切な『宝』である


それを捨てる


それが乙姫命の型示し

『捨てる』とは『手放す』ことである

だがそれは同時に『神に宝を捧げる』ことである



「どうぞご自由になされませ」


不要であれば捨てられる


だが、必要ならば還ってくる

その時、自分の『宝』は『神宝』となって還ってくるのである



愛情をかけ、美しく磨き上げた『至宝の技』は、『神業』となって還ってきた





乙姫殿は国常立大神に『すべての宝』を捧げた


「どうぞお好きにお使いください」


そう言って惜しげもなく「手放した」


そして「弥勒世界」の柱となる





手ぶらにならなければ【羅生門】は潜れない

潜らなければ『神の道』を進めない



九分九分九厘の人は捨てられないだろう

握ってしがみついて手放せないだろう



では【神】に何を捧ぐ?


小銭程度の宝しか捧げられぬから誠の神が現れぬ


愛が詰まった一番の 自分の『尊い宝』を捧げ得るなら

大神は自らの分け御魂を惜しみなく分け与え

尊(みこと)は命(みこと)となり『命の宝』となって還ってくる



その宝 愛に満ちているか? 尊いか?


穢れた宝は捨てられる

愛無き宝は捨てられる


愛着もなく尊くもないものばかり【神】に捧げる人らよ


『誠の愛』を捧げてみよ

『誠の愛』で育んだ『至宝』を捧げてみよ




九分九分九厘の人の出来ぬ道

そこに神一厘の仕組み在り



乙姫命の型示し

尊 命し 御言成る道

現実に 『癒奏術』として現れた道

捨てて捧げて我が手に宿った「神の手」が 乙姫命が示された『尊き型示し』



さあ、【神】に捧げる『尊き宝』はあるか?


芸も技もその身と一体

その身無ければ芸も技も無し



握りしめて手放せなければ【羅生門】は通れませぬ


自らの手から放して 【神】に委ねよ

さすれば還って来たならば そこに【神の手】が重なる


愛があるなら還ってくる

穢れがあるなら捨てられる


それは自分が一番知っていよう




神人和合の技芸の道 磨いた技芸を『神宝』と成す道


磨けば磨くほどに 尊ければ尊いほどに 愛があればあるほどに

天高く上がり大なる【神】の手に渡る


その宝 【神】が嬉しく思い喜び弥栄し【神宝】として還って来たれば

その手はもはや【神の手】

歌声は【神の声】

その姿は【神の姿】

その力は【神の力】


【神】がそなたの身を【衣】として纏う

神人和合の誠の姿


神との結び 神との結婚


天上天下唯我独尊 我は神なり 神は我なり