参政党の分裂に見る「鳥」と「イタチ」 《癒奏術・山桜の章》
参政党がまだ出来る前から「神谷宗幣」という人を知っていた。
Youtubeで「CGS/Channel Grand Strategy」という番組をやっていたので、それを見させていただいていた。
そこで初めて日本の兵書「闘戦経」というものを知った経緯がある。
その番組の中で彼は政治の理想を語っていたことがあるが、その意見というか信念に私も同意であった。
そんな経緯もあり、前回の選挙では参政党に投票した。
その時、きちんと候補者を全国隅々にまで立てていた事にも驚いた。
「だからこそ投票できた」わけであるが。
前回の選挙後、三年は国政選挙が行われない。
自民党が圧勝すれば、その後の三年で「やりたい放題」事が進むことは容易に想像できた。
最も大切な「三年」という時間・・・
日本の未来の『難』の大小を分かつ大事な三年という時間・・・
だが国民は無関心であった。
そして今、「難」が膨れ上がっていっているのを目の当たりにしているわけだ。
そんな参政党が「分裂」をしている。
まぁ、在るべくして在ることであり、起こるべくして起こったこととも言える。
世間にもよくある話である。
私も経験したからよくわかる。
離れていった者のその後の行動を見れば、その人と成りがわかるというもの。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」なのか「鼬(イタチ)の最後っ屁」をひっかけるのか・・・
そこで「馬脚を露す」わけである。
だがしかし、露わとなった馬脚を「見れる」人が少なくなったものだと思う。
おそらく「勉強」が出来たら「賢い」のだという『勘違い』をする世の中だからだろう。
「言葉」ばかりを追いかけて、その奥にある様々なものに目をやれない。
「言葉」につられて「情」を揺さぶられ、「馬脚」をやすやすと見逃すのである。
本当に「子供のような大人」ばかりの世の中になってしまった。
初めての人間たちが初めての組織を立ち上げれば、何度も何度も頭をぶつけながら進んでいくものである。
いきなり「完璧」な組織など出来ようもなく、もしそれをしているとすれば、それは「前例踏襲」しているに過ぎず、過去の何かの「型」をなぞっているだけであろう。
全く「新しい」試みをするということは、道の無いところを進んで「道」にしていかなければならず、道が無いのだから手探りで進むしかないのは当たり前のことである。
だが、「お利口さん」ほどそれに耐えられない。
敷かれた道を進んできたお利口さんには、道なき道を開拓することは苦痛以外の何ものでもないだろう。
エリートという上等な敷かれた道を進んできたという自負は、時に「天狗」に化ける。
そして、何より「道に沿う」ことを第一とする。
「道に沿う」ために「自分を捨ててきた」という経緯もあるだろう。
だが、道を切り開く者は「自分を捨てる」ことだけはけっして「してはいけないこと」なのである。
なぜなら「道」は自分の中にあり、それを具現化させることが「道を開く」ことだからである。
道に沿うために自分を曲げるものと、道を切り開くために自分を曲げられぬ者
いずれは袂を分かつ時が来る。
これからやってくる未来には「道」など存在していない。
だが、多くの人は「道」を探し求め、「道」に沿って行こうとする。
前例を破壊しながら「道」を切り開く者を罵倒しながら、結局はその尻に着いていくばかりである。
文句たらたら不平たらたら、ぶつくさと不満ばかり言いながら、道を開いた者への感謝も無しにその道をのうのうと進んでゆく。
だが多くの者は大きな勘違いをしている。
誰かが開いた道と、自分の心に在る道が違っていれば、必ず「進めなくなる」・・・ということを。
ただ「着いていく」というだけの道などもはや無いのだということを。
なぜなら、心と言葉と行動が一致しない者を、その切り開いた道を歩かせることがない・・・からである。
「文句があるならとっととよそへ行け」ということだ。
その時になってようやく「改心とはどうすればいいんだろう」と考え始めることだろう。
未来とは「創らなければ無い」のである。
昨日と同じ明日が来るという時代はもうとっくに終わっている。
コロナ禍が始まり、相変わらず「自分の道」など無く、誰かが敷いた道に突き進んだ者たちは、やがて「改心」の時を迎えるだろう。
そして、「後戻り」など出来ないことも知るだろう。
自分の意に反して歩いた道の責任を取る時、大いに後悔と反省をすることになるだろう。
そこで初めて「自分の意とは?自分の道とは?」と、自分に問い始める。
もっと早く軌道修正していれば・・・・
もっと早く改心していれば・・・・
だが後の祭りである。
気付いて「行動しよう」と意を決した場所からしか進めない。
後回し先延ばししてきたから大きく逸れすぎた道から、どれほど進めば自分の道へとたどり着けるのか・・・・
「後悔先に立たず」である。
そうしてようやく自分が「勉強は出来るが賢くはない」ということに初めて気が付くだろう。
そこでまだ「天狗」を飼っているようなら、そのまま取り残されてゆく。
その「天狗」を自ら祓わねばならないことにも気付くだろう。
上昇する「渦」と下降する「渦」へと向かう二分した道
想像できなければ創造することは出来ない。
もはや三年の月日が流れた。
ふたつの道は大きく離れてきている。
鳥となって空を駆けるか
イタチとなって這いずり回るか
天を仰ぐものと地を這うもの
自分の道は如何に?
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