【⦿と〇】~飯綱の大禍 《癒奏術・山桜の章》
〇の人の自由には「芯」が無い
だから彼らは「・(芯)」を求めて人と繋がる
されど「・(芯)」は不動の柱
自由に動かしてはいけないもの
自由を履き違えているのは「・(芯)」無きゆえ
「〇(側)」に対してどこにでも「・(芯)」を置けると勘違い
どこにでも置けるものは「・(芯)」ではない
情けはいくらでも動かせる
右に左に上に下に
自分の都合で動くが情け
愛は道理 決して動かぬ
愛と情けを履き違え
愛で繋がる人は動ぜぬ
情けで繋がる人はばらける
「・(愛)」の自由と「〇(情け)」の自由
同じ言葉でも全く違う
自分の「・(誠)」を歪めきた者
自分の「・(魂)」置いてきた者
「・(柱)」無き者が立つには
「〇(情け)」でもたれて立つが当たり前
もたれる「・(柱)」に集まりて
棒取り合戦が始まる
「〇(情け)」でもたれる人の性(さが)
善を語りて悪を為す
棒取り敗れたイタチの群れは
最後っ屁かます「〇(情け)」なさ
再び柱を求めて彷徨う
それまで支えは悪態三昧
「〇(情け)」心で悪態三昧
改心する気の無いイタチ
愛と情けは分かれゆく
⦿と〇は分かれゆく
「・(柱)」の結びと「〇(側)」の繋がり
全く別の結び繋がり
個性、個性と言うなれど 同じ言葉で個性を語る
同じに囚われた人の個性 個性を語れど個性無し
「〇(側)」だけ個性を語れども
「・(芯)」が無ければ没個性
人の「〇」見て我が「〇」寄せる
「・」を捨てた性(さが)個性がわからぬ
あっちふらふらこっちふらふら 未だに「・(芯)」が定まらぬのは
「〇(情け)」握って離さぬからぞ 他人の「・(柱)」にもたれる「〇(情け)」
棒取り合戦したところで おのれの「・(柱)」になるわけも無し
奪い奪われする心 「〇(情け)」心の飢え渇き
あいつが悪い こいつが悪い
けっして自分は悪くない
「〇(情け)」心のイタチ心
情けを慰む大蛇と成り行く
八岐大蛇の大禍(たいか)のひとつ
伊予から紀伊で退治されたる イタチの喰霊(ハタレ) 飯綱道(いづなみち)
恨みつらみ妬み嫉みの 「〇(情け)」が懲りた濡れ落ち葉
イタチとなりて悪態三昧
武御雷(たけみかづち)の地雷振(じらいしん)
イタチの喰霊(ハタレ)退治して
諏訪の谷間に鎮めたり
飯綱権現奉りて浄める
恨みつらみを鎮める諏訪の地
「〇(情け)」を捨てる 浄めの地
情けを鎮めた武田菱 赤武者率いて目覚めたり
諏訪の底から起き上がり 地雷の采配振りかざし
「・(愛)」と「〇(情け)」を立て分けて
あの世に湧いた 飯綱討つ
「・(愛)」と「〇(情け)」を知るための 武御雷の地雷振
揺らがぬ「・(柱)」 変わらぬ「・(誠)」
真理を示す フトマニの理(みち)
恐れ 哀しみ 痛みを知りて 誠の喜びへと巡る道
二線に分かれたその道は やはり然るに案の定
九割八分と二分の道 真っ逆さまに向いた顔
蛇の頭に向いた顔 蛇の尻尾に向いた顔
八岐大蛇の「〇(頭)」と「・(尻尾)」
「・(愛)」と「〇(情け)」の分かれ道
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