鶴と亀と籠(加護)の鳥 《癒奏術・高天ケ原》






鶴と亀

それは統治のかたち

豊受姫たる日皇女(卑弥呼)の鶴

大物主(モノノフの主)たる武(建・タケル)の亀

鶴と亀が中心となり日ノ本の王国を統治していた


大物主の参謀はインテリジェンスを司る事代(八咫烏)

その頭領が事代主である



鶴と亀の統べる日ノ本が終わりゆくとき

小碓(オウス)が川上建(カワカミタケル)を暗殺し【建(モノノフ)】の称号を奪い

自らが【建】を名乗って「ヤマトタケル」となった

神功皇后が豊受姫たる豊姫から【日皇女】の称号を剥奪し

八坂刀売(ヤサカトメ)が最後の日皇女となり

その娘の台与(豊)姫は神功皇后によって日皇女の称号を剥奪された


その頃

日ノ本はまだまだ王国が健在であったが

それら一つ一つを屈服させて「統治の在り方」を変えて行ったのがヤマトタケルであり神功皇后であり

それを策謀したのが武内宿祢である


三韓征伐という言葉は日ノ本が「統一国家」であった・・・と思わせる言葉であり、だがその時代の日ノ本は統一国家などではなく「鶴と亀」が王国たちの中心であると言う「合衆国」ならぬ「合王国」である


神功皇后が三韓征伐に赴いたとき・・・・

それまで半島にあった日本府である「伽耶国」が姿を消した

伽耶国は三韓の国々を指導育成したり、三韓の国々から朝貢を受けたりしていた日本府である

それが神功皇后の時に無くなったのである

それは日ノ本の王国を下していくにあたり

三韓を「味方につけるため」わざわざ赴いたのである


反抗的な王国を「蝦夷」と名付け

「各個撃破」していくたびに「鬼」の物語が生まれ

時間をかけて少しずつ王国を滅ぼしてゆき

源頼朝の時に「最後の王国」であった東北の「藤原王国」を滅ぼし

北海道沖縄以外の「列島の統一」がようやく成った



だから日ノ本の在り方はその後も「鶴と亀」

日皇女と大物主のかたちの在り方を踏襲し

天皇と将軍という「型」が継承されつづけている



神武天皇の時代はまだまだ「あまたの王国のひとつ」でしかなく

「天皇」という呼び名さえ無い

「天皇」という呼び名は恐らく「蘇我馬子」の時代から

ちょうど「聖徳太子」の時代である

蘇我一族が自分たちの長(おさ)である女王(蘇我一族は常に女王)のことを「天皇」と呼んでいたものを踏襲したということである


そしてちょうどそのころに「最後の前時代の物部(もののふ)」である物部守屋が排除され

「八坂刀売」共々【諏訪】に押し込められた

そこ(諏訪)には当然「長脛彦(ナガスネヒコ)」の一族である足長・手長も押し込められており

諏訪から出ることを許されなかった


その諏訪からようやく出た最初の人が

戦国に現れた「甲賀三郎」

甲賀忍者の始祖である


甲賀忍者は他の忍(しのび)を生業とするものとは違い

技を売るのではなく「主君」に忠実に仕える

それはまるで

かつての「事代」であり「八咫烏」そのものである


ちょうど「桃太郎」に付き添っていた「犬」「猿」「雉」

それらは「事代」そのものの「諜報者」であり

ヤマトタケル・神功皇后に付き添っていた「武内一族」そのものでもある

「事を知る」のが「事代」であってみれば

武内家が歴史の「事」を「知る」一族であることも頷け

武内宿祢の「立ち位置」も「もっとも」であると言える

武内氏の氏姓は元は「平群(へぐり)氏」であり

「木菟(ぼくと・ミミズクのこと)」や「真鳥」など「鳥」の名を継承していたところをみると

桃太郎の「雉」といったところだろう

「八咫烏」と言い「鳥」が「諜報」における「情報司令塔」ということなのだろう


「犬」は恐らく忍用語でいうところの「草」などの「スパイ」と言えよう

「飼いならす」ことが出来るのが「犬」である


「猿」は出入り自在の「謀略者」であり「暗殺者」であるか

上杉謙信が武田のスパイを暗殺する「カウンターインテリジェンス」を実行する修験者の忍部隊を「軒猿」と呼んでいた

豊臣秀吉も織田信長に「猿」と呼ばれた信長の身辺警護をする「草履取り」という肩書の忍(しのび)である

馬で走る信長のあとを走って平気で追いかけていたほどの強脚の持ち主である

ちなみに織田信長には「滝川一族」という甲賀忍が仕えていた

その滝川一族から前田家(利家の兄)に「養子」に行ったのが「前田利益(慶次郎)」である

その慶次郎は豊臣秀吉の「朝鮮出兵」と言われているが、その実は「対明国防衛」であり「対スペイン防衛」である「慶長の役」の時に、秀吉の命で情報収集のため朝鮮に赴き情報収集をしている


元忍の一族である秀吉の「情報収集能力」はピカ一である

だから「戦う前に戦いを終わらせていた」という「インテリジェンス」を駆使した戦いであり、無駄な戦というものがほとんど無い

「慶長の役」もスペインの「無敵艦隊」がイギリス海軍に敗北したことで「終結」したのである

秀吉の「諜報網」は遥か「ドーヴァー海峡」にまで伸びていたのである

さらに切支丹宣教師たちに「奴隷」として「南米」に売り飛ばされた日本人を「一人残らず」回収するほどの諜報力である


だから家康の頃にはまだ健在であった「諜報力」が、300年の間で如何にして失われたのか・・・

もし諜報力が駆使されていたのであれば、黒船ごときで驚くようなことなどなかっただろう


幕末当時、最も情報収集力があったのが「薩摩」

琉球王国を経由して情報収集を欠かさなかった薩摩は、当時、日本のどこよりも「工業化」を進めていたという


そんな薩摩の家紋は㊉

物部守屋の守屋氏の家紋も㊉

あぁ、そういえば神功皇后の夫である「仲哀天皇」は「熊襲(くまそ・建日別)」討伐の途上で亡くなっている

ヤマトタケルが暗殺した川上タケルは「熊襲建(くまそたける)」である

夫を討たれた神功皇后は、だから「三韓」に援助を求めた

そこに「三韓征伐」という言葉による「思考コントロール」が為されたわけであり、それは秀吉の「朝鮮出兵」も同様である

秀吉は「朝鮮討伐」をしたのではなく、朝鮮を「通過」する際に明国の意向を受けた朝鮮人兵と戦ったというだけである

明国はスペインと日本に「挟まれた」形となったわけであり、スペインの命令で日本を攻撃するつもりだったのを秀吉は「さして戦わずに」押さえていただけであり、だからスペインの無敵艦隊が敗北することで明国も解放され、日本も戦う必要が無くなったということだ





熊は隈

隈々(あちこち・すみずみ)


熊野八咫烏

恵比寿の熊手 何するものぞ

事代主の釣り糸は 何釣るものぞ


籠目の籠とはおそらく「八重垣」

事代主が隠れた青柴垣

つるっと亀が滑ってひっくり返り

頭尾手足を引っ込めた亀腹


鶴と亀が統べる世が

つるっと亀が滑ったために

加護の鳥は籠の中



〇九十(まこと)が明らかになるとき

加護の鳥が現れる

カラスかミミズク それとも金鳥か

加護の鳥は〇九十(まこと)

宮(三八)の礎となる亀腹(礎)の八重垣

九重十重の垣(礎)となり出ずる

熊野久須毘の神の熊手




籠神社へ赴いた際、ただ「事代主神」だけが現れたのがうなずける





ひふみ神示 補巻 月光の巻 第三帖

こんどは、八のくまではたらん。十のくま、十のかみをうまねばならんぞ。そのほかに、かくれた二つのかみ、二つのくまをうみて、そだてねばならんことになるぞ。


五十黙示録 扶桑之巻 第十五帖 

百不足(モモタラズ) 八十隈手(ヤソクマデ) いまひらかんときぞ。 

天のことは今迄は人民には判らなかったのであるぞ、時めぐり来て、岩戸がひらけて、判るようになったのぞ、今迄の人民であってはならん、地そのものが変ってゐるのであるぞ、人民は我(ガ)が強いから一番おくれてゐるのであるぞ、人民の中では宗教人が一等おくれてゐるぞ、神人(カミヒト)とならねば生きては行かれんのぢゃ、天地がアメツチとなってきてゐるからぞ、天も近うなるぞ、地も近うなるぞと気つけてありたのに目さめた人民少ないぞ、今に昇り降りで急しくなり、衝突するものも出てくるぞ、他人におんぶされたり、車に乗せられてゐた人民たちよ、もうその時は過ぎてゐるのであるから、自分の足で歩まねばならんぞ、大地をふみしめよ、大地の気が身内に甦るぞ。


五十黙示録 碧玉之巻 第五帖

七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると〇と九と十との三が出てくる、これを宮(三八)と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。