愛の迷子




愛とは ある瞬間に「生まれる」もの

ある瞬間とは「気付き」

『真心』を受けたものが気付いたとき それは【愛】となる

『真心』を受け取るとき それを与えてくれた誰かがいる

誰かの『真心』が言葉となり行動となり誰かに届く

それが届いても 気付かなければ【愛】は生まれぬ

気付いてもらおうとすれば 心は曇り影が生まれる

影が生まれれば『真心』は『下心』となる


【愛】とは 与えっぱなしの『誠』から生まれるもの

誠は真(まこと)

真の心を言葉の船に乗せ 行いの流れに乗せて届ける

曇りの無い心を通り 表に現れた言葉と行い

気付いても 気付かなくても

受け取ろうが 受け取るまいが

ただ湧き出る泉のごとく溢れる


【愛】は留まらない

生まれては消え また生まれては消える湧き水の中の『泡』

人知れず湧き出ずる

留まれば淀み腐りゆく

留まることの無い 『誠』の泉にのみ生まれるもの

【愛】は「在る」「無し」というものではない

『真心』を表し行動した先の【結び】で生まれる


【愛】はあるか?

その前に【誠】はあるか?

その前に【真心】はあるか?

【真心】が溢れているか?

言葉から 身体から 日々の中から溢れているか?


【愛】が何か知りもせず

【愛】が無いと 曇った心

【情け】心の曇り晴れねば

【愛】は見つからない

自分に真心が無ければ

【愛】に気付くことも無い


【愛】が無いと 迷子になるは

心曇りている証

【愛】の優しさを間違うは

【情け】心の曇りと淀み

『真心』と『下心』

どちらがどちらか区別もつかぬ

『真心』を届けることを知らねば

【愛】の迷子はこの先も続く


一瞬 一瞬 生まれては消える

気付かぬうちに 我が身を通り

生まれては消えている【愛】は

無数にこの世に流れてる

心澄み切れば気付いて受け取る

そのとき【誠】は【愛】と成る




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