調和のための調律




『調和』とは『和』する調べを奏でること

されど調律の狂ったものが和することは出来ない。

432hzで調律した楽器と444hzで調律した楽器が『和』を奏でても「不協和音」となる。

それゆえ同じ周波数で『調律』しなければ、音楽は調和しないのである。

少し聞いただけではわかりにくくとも、様々な周波数で調律された楽器が奏でる音楽は、美しいようで歪んでいる。

だからどんなに美しく調べを奏でようとも、不協和音が歪みをもたらす。


そんな同じ周波数で『人』が調律するための『柱』となるもの・・・

愛であり誠であるもの・・・

人の真ん中にある真心

誠は真言(まこと)

誰の心にもある言の魂

同じ周波数を持つ【神】の『言霊』

魂の原型

それは誰もが同じ周波数

人がそこに自分を調律できなければ、調和のとれた調べは奏でられはしない。



調和の世界とは

同じ誠の柱で調律された人々が、個性を奏でる『和』の世界

柱が同じなら自由が自然に調和する


今は真逆の世界となり、調律すべき柱が違い、和せども和せども調和に至らず、ゆえに自由を奪うものなり。

されど奪えども奪えども不調和は無くならぬ。

それは柱が調律されていないゆえ、同じ音でも調和せぬ。

心曇りて真中が出せぬ。

真中の真中の真中の心




心は九九路(こころ) 九九理(ククリ)の道

黄泉平坂の岩戸の内外(うちそと)

【神】の九十霊(ことだま)へ至る手前

閻魔王と菊理姫が

浄玻璃の鏡で出迎える

岩戸開かねば真中は出せぬ

九九路開かねば真中は出せぬ


いつまで心を閉じているのか

いつまで肚を括れぬのか

九九理の道は肚括り

神を恐れる情け心を

鎮めて向き合う肚括り


神に向かっているふりをして

神を恐れる情けなさ

愛無き自分を知る故に

真澄の鏡に向き合えぬ

神にすがって情けを乞うて

神に向かっていると騙して

肚を括れず岩戸を開けぬ

許しばかりを求める心

情けの水に濡れた言の葉

濡れ落ち葉となり張り付いて

掃けども掃けども剥がれぬ情け

真心ならぬ下心では

真中が出せるわけはなし

岩戸開けるわけはなし


『調律』せねば『調和』は出来ぬ

『調和』出来ねば『和』とならず

大和の民となかりせば

神の民ではなくなるに

それでも放せぬ下心

不協和音を生む種となる

調和を阻む種となる




癒奏術・響庵ブログ

神人一致の理を実現する「響庵」のブログ