神の演舞 ~般若波羅蜜多心への楼門



神人一致の器とは 純粋心の大人である

大き器の澄みたる心 神の責務を我が身に宿し

神が行うはずの生き様 我が身に写して演舞する



拗ねて駄々コネ我が儘放さぬ 小さき器の小人(こども)心で

責務を避けて利だけ得ようと 虎の威を借る神懸かり

キツネに懸かられ振り回されて 気付けば獣の道を行く



神のお役を演ずるは 神の責務を我が身に纏い

神の心と我が心 一致させて演舞する

神人一致のその姿 神の手足となりにけり




奥山は 神の住まう 気高き心

神心の頂へ おのれの心を登らせて

神と出会いて結ばれて

神人和合の神人となる




山の裾から駄々こねて 神が降りて来るを待つばかり

小人心を手放せず 責務を背負うを厭うばかり

神を背負うは責務を背負い 神の代わりに代行すること

それが神の「お役」なり 神のお役の演舞なり



神の心をわかろうともせず 神とどうして結べるか?

それでは人とさえ結べぬ ゆえに承認欲求に駆られ

孤独の恐れと表裏一体 欲と恐れに駆られる心

餓鬼畜生の餌食なり

餓鬼に懸かられ 獣に懸かられ

縛られたるが結びと成り行く



まずは器を大きくされよ 大人の責務を果たされよ

大人の責務は何であるのか しかと心に打ち立てよ

大き器の人となり 大き心でこの世を見れば

何をすべきか一目瞭然 おのれに出来ることを成せ

幼稚な子供の心を手放し 純粋心の大人となりて

おのれの心を気高く登らせ 神の頂きへと登れ



羯諦 羯諦  波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若波羅蜜多心となりて 神の高みへ登り来たれ

神を求めて一本道を 真っ直ぐ登って来られたり

そこが奥山 神の頂

奥の宮の「櫻殿」



「羅生門」を通り抜け 余計な荷物をすべて手放し

一本道を気高く登らば おのれの神が待つ頂へ

そこで結んで初めて神を この世に降ろせる器と成れる

結んだ神と一つ器で 山からこの世に降りるのが

神を降ろすということぞ



いくら裾野で叫んでも 器がなければ神は降りれぬ

器が在りても結ばねば その器には入れぬからに

「言」を降ろすがせいぜいの事 それも誠がなければ曲がる

誠の中に言伝え 言を事へ結ぶしかなし

心の中が散らかりすぎて 言が埋もれて事に結ばれず

忘れ去られた神の言霊 賞味期限も過ぎたりて

もはや使えぬ有様なりて 二度と言霊降ろされぬ




掃除洗濯出来ぬものばかり 片付け出来ねば神の型付かぬ

神の型を身に付けるのが 神のお役の演舞なり

神の型を演じ舞う 神の心で演じ舞う

神の心と我が心 違わぬ結びが神人一致



裾野で叫ぶ口を閉じ 足を一歩前に進めよ

気高き山の雲の上 頂き目指して歩かれよ

山を登らねば見えぬ景色は 裾野からではけっして見えぬ

言霊降ろせど神懸かれども 神心にはほど遠し

高みから見る景色を観じ 心に写る想いが神心

般若波羅蜜多心なり

自在に観ずる神心 大き心の鏡なり

欲はあれども大き器に 転がる塵のようなもの

欲で溢れる小さき心で 自在に観ずること能わず



山を登らば視界が開ける 開けた分だけ心が広がる

頂から見る広き視界が 神の心の大きさである

裾野と頂 天地の差 それを裾野で知る由は無し

羯諦 羯諦  波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

登りて確と景色を修めよ


頂に住む神と結んで 我が身に神の心を修めよ

神の心は我が心 我が演ずるは神の演舞なり




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