癒し人たち ~とあるバイト先にて
今から6~10年ほど前になる。
毎年の師走前になると1ヶ月間という短い期間だけ始まるというアルバイトがあり、そこに5年ほど行っていたことがある。
女子ばかり3~40人居る中で男は7~8人ほどしか居ないという・・・
たぶん「商業高校」のようなものだろう。
そんな中に3人ほど「癒し人」が居た。
一人は男性で私がそこに行き始めた時にはすでに居た先輩である。
言葉はたどたどしく吃(ども)りがちで、自分の意思を伝えるのに非常に時間が掛かる。
だから誰とも会話せず黙々と仕事をしていた。
彼は食事の時、必ず「お祈り」をしてから食事を始める。
いつも「お弁当」持参であるが、時々外食をすることもあるが、外食先でも必ず「お祈り」をする。
何に、何を祈っているのかわからないが、それをしない日は無い。
彼はいつも笑いものの種にされ、陰口でけなされ笑われ、時に人の思いの「はけ口」となっていた。
そんな彼と時々一緒に食事をするのが私は好きだった。
黙って食事をしていると、彼はたどたどしい言葉で話しかけてくる。
そして邪鬼の無いその彼の「声」に癒やされる。
女子だらけの「念」の思い職場で、彼は一種の「オアシス」であった。
そして、彼と居る時には何故か「バリア」が形成される。
人が寄りつかないということだ。
私は人を寄せてしまう。
だから誰とでも会話も出来るのだが、それは長所と同時に短所ともなる。
その「避難所」として彼のそばに居るということだ。
彼から放たれる波動は邪鬼が無く心地良い。
だから人は自らを「洗う」ために無意識に「穢れ」を吐き出す。
それが「陰口」や「笑いもの」にするという行為の裏側である。
そうして彼は毎日誰かの「穢れ」を引き受ける「地蔵」のように佇み、自らは「石」のように自分を変えること、曲げることをせず自分を貫いている。
「何を言ってもびくともしない」
そう思われているだろう。
だが実際はそうではない。
「陰口」をたたかれ「嘲笑」されつづければ、やはりしんどいものである。
だから、「バリア」のお礼に心を「ほぐす」ことをしていた。
二人目は私が「魔女」と呼んでいた女性。
いつも不思議な雰囲気を醸し出しているからそう呼んでいた。
彼女は「人の気配」を容易に察知する「アンテナ」を持っている。
だからいつも一人でいる。
人の「気」に当てられないようにするためである。
「防御」のための明敏な「アンテナ」が、かえって自分を苦しめる。
私が出勤すると「空気が変わるからわかる」と言う。
この職場の全員と普通に会話が出来てしまうのは私だけであり、それが私の「特異性質」でもある。
探偵をしていた頃「何処にでも入り込める」のが私の特技であった。
だから情報を持って帰れるわけである。
彼女は「喫茶店」でもバイトをしていたが、やはりそこでも「特定の人」から嫌がらせを受けていた。
それで時折息苦しくなり外に出ることがあるという。
ある日、その喫茶店に遊びに行った時、重苦しい空気の中で突然「呼吸が楽になった」と思ったら、ちょうど私が店に入ったところだったと言う。
彼女のおかげで私自身「自分」の特異性を知ることが出来た。
そんな彼女には長年同棲している彼氏がいる。
その彼氏がまたなんとも言いがたい空気を醸し出している。
ふんわりとした捉えどころの無い彼にも「邪気」がない。
だから明敏な「アンテナ」を持つ彼女も、ずっと一緒に居られるのである。
3人目は沖縄の「ユタ」の血を引く女の子である。
三人兄弟姉妹の末っ子であるらしく、彼女がお母さんの「霊力」を引き継いでしまったようである。
彼女を生むと同時にお母さんの「霊力」は消失し、彼女へと移っていった。
どういう理屈かはわからないが、恐らく『守護霊』が移動したのかも知れない。
『霊』を引き継ぐことで「ユタ」の力が受け継がれていくということだと思う。
そんな「力」を受け継いだからか、彼女は非常に臆病なところがある。
しかし、彼女が醸し出している雰囲気は『守護霊』の力強いものであり、その「差」がちぐはぐで面白い。
彼女が居た部署はパソコンに囲まれた一角で、数人の女性が「別格」のように鎮座してパソコン作業をしている部署であった。
バイトの女子達も容易に近づけない・・・・
そんな「砦」のような部署に私は招かれた。
そこで「霊能者」の彼女を知るのだが、同時に「自分の能力」も知っていくことになる。
私は「癒奏術」の完成を目指していたこともあり、そのバイト先でいろいろな人の不調を見てきたが、彼女の不調を対処すると「理解」できることが多々あった。
ある日、彼女が風邪を引いて咳き込んでいた時、私が彼女の首に触れると、一瞬「咳」が私に移り、彼女の咳の症状は消えた。
私に移った「咳」もすぐに消えた。
「風邪」とはよく言ったもので、つまるところ「邪気」が喉に絡んでいたということで、その「邪気」を私が写しとり、その後「浄化した」わけである。
身体の「凝り」にも「邪気」が凝っているわけで、その「邪気」を私が写しとると「凝り」の感覚は消える。
そして「邪気」が消えることで身体が「修復」へと向かう。
そんなことが彼女のおかげでわかったのである。
また、ある日「ヘッドマッサージ」をして「エネルギーの浄化」をしようとしたところ、いきなり彼女が『魂が抜かれる!』と叫びだした。
確かに「吸い出す」というような作業をしていたが、まさか『魂』まで吸い出すとは思ってもいなかった。
だが、これが後の「ヒーリングヘッド」による「次元上昇」やその他様々な『技』に至る第一歩だっただろう。
だが、この頃はまだ『覚醒前』である。
話を戻そう。
そんな「ユタ」の血と霊を受け継ぐ彼女は「癒し」の力を持っているのだが、臆病ゆえからかそれを使おうとしない。
わけのわからないものに翻弄されたくないのだろう。
ただ、ワケがわかれば翻弄されることも無くなる。
沖縄では叔母さんが「ユタ」をしていると言っており「修行」に行けば使えるようになるとも語っていたが、未だ行ってはいないだろう。
いろんな所にいろんな「癒し人」は居る。
だが多くの人は「出会う」ことはない。
それは自らが『殻』に閉じこもっているからである。
『出会う』人を自らで「限定」してしまっているからに他ならない。
何より、自らが「邪気」を持っていれば「出会い」は遠のくばかりである。
彼ら、彼女らは特別な「アンテナ」で「邪気」を避けている。
意識するにしろ無意識であるにしろ、「邪気」から身を守り、また「守護」たちから護られてるのである。
『二分である』
どんなところにでも『二分(にぶ)』は居る。
ひふみ神示 第十一巻 松の巻 第二帖
神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民 三分むつかしいぞ。
三分と思へども、二分であるぞ。邪魔せん様に、分らん臣民 見物して御座れ。ここまで知らして眼覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。雀ちうちう烏かうかう。
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