九分九厘の悪神支配の足音
刻々と『仕上げ』の足音が忍び寄り、もうすぐ背中に手がかかる。
さんざん流行った「引き寄せ」が、呼び寄せたものがこれである。
逃れたき思いに駆られ、向かった先に逃げ道は無し。
善人気取れど力無く、偽善の悪に落ちてゆく。
悪を背負った素戔嗚神の、悪の所以を知るだろう。
善とは何ぞ? 悪とは何ぞ? 岩戸(言答)開いておかねばならぬ。
神国御魂と幽界(がいこく)御魂、きれいに分ける『水分(みくまり)の神』。
自分の巡りが分水嶺、きひつ神(木火土金水)の「み(水)」で分かれゆく、「み(巳)」が分けられる分水嶺。
ひふみ神示 ウメの巻 第二十六帖
金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。
ウミの巻 第十四帖
何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処へ参りて、マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、九十(マコト)とは一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。
縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。見て見よれ、真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、今は神を見下げて人民が上になってゐるが、さうなってから神に助けてくれと申しても、時が過ぎてゐるから時の神様がお許しなさらんぞ、マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。
黄金の巻 第五十九帖
・(テン)忘れるなよ。世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。迷信であるぞ。金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ。
神を語れど「獣道」 歩いている者ばかりで候
愛を語れど「曖言葉」 叢雲沸き立つ者ばかり
心の中に獣神 祀りてまつろう末路まで
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