天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 《癒奏術・鋼の章》





学歴、学閥の「優生学」が「上級国民」という概念を生み出した。

その元を造ったのが「福沢諭吉」である。


天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 人間は生まれながらに平等であって、貴賤・上下の差別はない。


だから

人の手により人の上下を造るため『学問のススメ』が生まれた。



そんな歪んだ『優生思想』の行きつく先は『ナチス』のごとき歴史を繰り返す。


そして、コロナで露わとなった「優生思想」は『ナチス』の歴史を繰り返した。




戦後、敗戦の後に共産主義者たちが「待ちに待った敗戦革命」に取り掛かり、福沢諭吉の「優生思想」を基盤に国を造ってきた。

負けるはずのない戦いを「負け」へと導いたのは他ならぬ日本人。

ナチスのごとき思想に取り憑かれた「優生思想の共産主義者」たちは、『学問ノススメ』という旗を掲げて優生思想を「綺麗ごと」で押し隠し、人の意識下に浸透させていった。

やがて人はおのずから「優劣」をつけるようになり、自らを「優生思想」で縛り、その「毒」が「恐れ」と「承認欲求」を肥大させ、その「毒」に『隷属』する方向へ向かった。

自分で自分の心の中に「優生思想の神」を創造し、その神の「裁量」に一喜一憂しておのれの「軸」をどんどん歪めていった。


ほとんどの人の心の中に「優生思想」の【神】が棲む。

それゆえに【誠の神】の言葉さえ、優生思想の神の「優劣の秤」にかけられる。



自分の中の「優劣」の秤の「軸」は「何処」にあるや?


自分で上下優劣造って、優るほうへ、上のほうへ進んでいるその『軸』である。



お山を登るは何のためか?

景色見るためか見下すためか


見下す心があるうちは 見下されると思う心

優生思想の神の天秤 心の中に住み着きたる




同じ景色を見るが友


連れ立ちても見る景色違えば友ならず

軸が違いて和(輪)と成れぬ





ひふみ神示 黄金の巻 第四十八帖 

神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。

はらひ清めの神が⦿三🌀(スサナル)の神様なり。サニワの神は|曰十🌀の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。足には足袋、手には手袋。


第六十一帖

自分のみの信仰は、私心私情のため、自己つくりてから人を導くのぢゃと理屈申してゐるが、その心根洗って自分でよく見つめよ。悪は善の仮面かぶって心の中に喰入ってゐるぞ。仮面が理屈、理屈は隠れ蓑。




天に逆らう「優生思想」 天に逆らう「学問ノススメ」


まことの神に会いたくば まことの信心なされませ


祓い清めの龍神祝詞 ひふみ数叉鳴る(スサナル)十種神宝