福沢諭吉とコロナワクチン 《癒奏術・芙蓉の章》
天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らない
だから福沢諭吉はそれを「学問」によって「覆そう」とした。
学問とは何であるか?
ただ知識を学ぶだけではない。
そこでは様々な「優先順位」が入れ替えされる。
それを「学問」の「過程」の中に組み込んで、「人の上下」という認識を植えこんでいった。
何が価値あるもので、何が価値の無いものか・・・
それらの定義づけによって優先順位は組み替えられてゆく。
そうして本来上下の無い人に「上下の認識」を植えこんでゆくために「学問」を奨励してきたわけである。
そして根本に「根付いた」『優生思想』によって人の上下の意識が常に起こり、それを発信源として思考が展開されてゆく。
学校という閉鎖された箱庭で育った苗は、箱庭を出ても育ってゆく。
そして、それが育つためには社会自体が「箱庭化」する必要がある。
人の上下が存在し得るのは、自然環境ではなく「箱庭」環境だからである。
そして社会は「学校」の延長線上にあるような「箱庭」と化してきた。
人はそんなこととはつゆ知らず、学問を奨励し学ぶことは善いこととして、改変される「優先順位」を受け入れながら、自らの手で自らの心の「真ん中」に『優生思想』の根を植えていった。
だが中には「優先順位」の改変を受け入れられない者もいる。
それらの者たちは「脱落者」の烙印を押され、『悪』であると決めつけられて、「不良品」として箱庭の外へと追いやられてゆく。
だがしかし、それはまだ「自然」という【神】に打ち勝ってはいない。
「箱庭」が前提条件として居座り続けている。
だから・・・
そんな福沢諭吉が最終的に夢見ていたのが「DNAの改変」であるという。
DNAを改変して「自然環境」の中でも根付く「優生思想」を実現させたかったようである。
そして今・・・・
mRNAという「DNAの破壊装置」が撒かれているわけである。
mRNAワクチンが産出するスパイクタンパクは細胞のみならずDNAやミトコンドリアも破壊し、さらには修復をも阻害する。
こうしているうちに「箱庭」そのものが「自然」と『取って代わる』ことを企図している。
なぜそうする必要があるかというと
『時代が変わろうとしている』節目だからである。
時代の変わり目であるから、「箱庭」自体も存続が難しい。
それならば「新時代」そのものを『箱庭』のようなものにしてしまえば、箱庭を造らなくとも自然が「優生思想」をはぐくみ続ける。
だからこそ「時代の変わり目」に行われている。
そのための「グレートリセット」であり「新世界秩序」である。
そして、そのモデルケースとなっているものが「ナチス」であるということ。
そのモデルケースを移植したのが「共産主義」という『型』であり、現在の「中国共産党」の在り方でもある。
神示に言う「神力」と「学力」の戦いであるという意味である。
彼らは一見「平等」であるかのように装うが、それらは「上下」の平等ではなく「左右」の平等ばかりを語り、一見平等であるかの如く装う。
「LGBT」がいい例である。
だから「悪平等」となる。
けっして「上下の不平等」には触れはしない。
それは彼らにとって「必要不可欠」なものであるから。
学校という「箱庭」のモデルケースを世界の「自然」とすり替える「グレートリセット」
それは、これから起こることではなく、とっくに始まっているのである。
福沢諭吉という「イシヤ」の思想は「イシヤ」によって世界に広げられている。
そんな「イシヤ」の最高幹部でありエンペラーの称号を持つ「上皇陛下」が、先日、サミットに合わせてわざわざ京都へ足を運んだのは如何なる旨か?
その後どうなった?
世界はどこへ流れている?
大局を見なければわからない。
「つもり」の世界から脱却して見なければわからないだろう。
ひふみ神示 下つ巻 第十六帖
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。
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