【大祓】~祓戸神の真姿 《癒奏術・芙蓉の章》

ネメシス/ラムノシア (ギリシャ神話) 神罰、復讐、報復、均衡を司る女神。  

Superpower Wiki から引用:https://powerlisting.fandom.com/wiki/Archetype:Vengeance_Deity





祓戸の神々、そして瀬織津姫神について、ここで書いたところで「アレ」なのだが、万人に一人気付きが在ればと思って記す。

人というのは「勘違い」と気付いてもそれを貫き通すものである。

だから、そうでない稀有な人に届けばよいのである。



瀬織津姫とは端的に言えば「最後の審判」を下す神である。

天のラッパを吹きならすゴーサインを出す神である。



かつて世界は大洪水に見舞われ、ノアの一族のみ救われた。

その大洪水へのラッパを吹きならす指令を出したのが瀬織津姫である。


ノアの大洪水以降、祓戸の神々は陰に隠れて守護してきた。

人の「心の中」の穢れを祓うことをしてきたわけである。

これを祓戸の神々は「便所掃除」と言う。


人が生命活動をする中で沸き起こる「穢れ」はまるで生理現象のようなものであり、それらを掃除するから「便所掃除」なのである。

そうやって便所掃除をすることで現界の穢れが霊界に映らないよう、幽界の海原に流し掃除してきた。


だが、三次元の地球そのものが次元上昇し、霊界と色濃く重なると、心の穢れは間髪入れず現出するようになってくる。

便所の汚れが即部屋の汚れと化すわけである。


だからもはや「便所掃除」などはしていられないため、祓戸の神々は「便所掃除」のお役から離れた。





雨を降らせるのは龍神たちである。

それらを総じて「八十禍津日神」という。

指揮するのが「大禍津日神」である瀬織津姫


次に速秋津姫が海神(龍神)を動かして大津波で飲み込んでゆく。

河川から海原にかけて龍神たちが活動する。

これも八十禍日神である。


気吹戸主の号令で龍神たちが風を巻き起こす。

雨は嵐となり、波が津波となり大津波へと至る。

これも八十禍日の龍神たち。


そして速佐須良姫が現れ「混沌」が現出する。

その混沌の中で善と悪が湧き出て、やがて自然に淘汰されてゆく。


八十禍日神のお役に「建御雷神」の神龍が混じってくれば大地震となる。

「経津主神」の神龍が混じれば大地は裂ける。



これらはすべて「天気を司る神」であるということ。

「天候」とは「天の気を候(うかが)う」ことである。


それは「天照皇大神」の気を候うということ。



大祓で祝る「天津祝詞」は祝詞を奏上して自ら「便所掃除いたします」と宣言することであるが、ほとんどの人は「掃除してください」と祈る。

だから掃除が出来ないわけである。


当人が「握って離さない」ものはどうしようもないのである。

禍根を生むとわかっているのに手放せない。

手放したなら掃除を手伝ってくれるであろうが、手放さないものはどうしようもないのである。

いくら祝詞を奏上したところで、自分が握っているものは無くならない。

そうして握りしめ続けているものはやがて自分の一部と化す。

そうなれば掃除など出来るわけもない。


そして、今はそういう時なのである。

握っているものはすぐに具現する。

願いが具現するのではない。

願うことによって「生じる」ものが具現するのである。

そうして世界は具現化が始まった。

ここ最近「何が具現しているか」を見れば一目瞭然である。

それが「人の心にあるもの」に外ならない。


心に無ければそもそも具現などしない。

具現しているものの先に必ず「心」があり「霊」が具現し「物質」へと顕現する。


どんなに表面を取り繕っても、心に「破壊衝動」があるから具現している。

「人などいなくなればいい」という思いが具現し死者が増える。


様々な物事の「具現する時間」が短縮されている。

心の奥に秘めていても、強い思いが多くの思いと一致するなら、それらが具現する。

世界が平和にならないのは、心が平和にならないからである。



早く掃除洗濯することである。

握って離さない、自分の柱を歪めているものを手放すことである。


今度のラッパは神々をも押し流す号令である。





ひふみ神示 下つ巻 第二十帖

上、中、下の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。



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