日月(⦿)の世界 《癒奏術・弥勒・序》




日ノ本が向かう未来の行き先は、とうに決まっている。

決まっているのに定まらぬのは、いまだ人々の「守護神」が愚かなためである。


「一厘の仕組み」の若い芽が、ようやく外国に出てきた。

この調子では外国人のほうが早く気付くのかもしれないなと思う。

「燈台下暗し」ということだろうか・・・・・・



日ノ本の未来は日月(⦿)の日(・)であると、100年も前から出ているそのままが、なぜにわからないのか?

日(・)の国になれば日(・)の人しか『住めない』ということが、なぜにわからないのか?


世界が一つに纏まる仕組み


その「要」に住むものが月(〇)であっては「成就しない」のである。

なぜにそれがわからぬのか?



もはや時節

成るしか無いのである。




日ノ本の国が日月の世界(⦿)の日(・)となるために、掃除洗濯が始まる。

外国も日月(⦿)の月(〇)となるために、掃除洗濯が始まる。

日(・)無き世界に真ん中(・)を入れるための大掃除が始まる。

100年も言われてきたものを、未だに行わぬものはもはや致し方なし・・・ということであろう。



神も『時節』には逆らえぬのである。



新しい世界へ向かおうというのに、どうして過去の「側(〇)」を未だに取り戻そうとしているのか?

そんなに「側(〇)」が欲しいなら、外国(幽界)へはや行きなされませ。




世界をまとめ治めるためには真ん中(・)が必要なのである。

だから、そこに暮らす人々が日月(⦿)の日(・)でなければならないのである。

でなければ世界は「纏まらない」のである。


こんな簡単な道理がなぜわからぬのか?




神でも逆らえぬ「時節」になっても、掃除洗濯できずに側(〇)のままの人は、退場いただくしかないことになる。



日ノ本の御魂(・)と幽界(がいこく)御魂(〇)の選別は、これからはっきりと現れる。

夏が終わり秋が来るように、時節の巡りの如く現れる。




世界は・・・

この期に及んで真ん中(・)の取り合いとなるのか?


素直になれば「難」は小さく済むものを・・・・・・・