再来年の七夕に・・・ 《癒奏術・弥勒・序》




天照らします大神は『左目』から生まれたと

月読命は『右目』から生まれたと

これが日月のひとつの岩戸


左の眼に映った肖像は『右の脳』へと流れゆく

右の眼に映った肖像は『左の脳』へと流れゆく


さあ、どちらが先でどちらが後か?


右の脳に映ったものを『言葉』としたのが日本語で

左の脳に映ったものを『言葉』としたのが外国語


ゆえに言語の順序は違い、思考の順序も逆さまである



左目右目は「型」であり、その奥にある脳が神

天照らします太陽は右脳

陽の光を映す月は左脳


世界で唯一「虫の声」を聴き分けるのが日本人

色や風景や現状に「情緒」を乗せ得るのも日本人

それは「日月」の順序正しく、右の脳が「主」である所以


そんな「日月」の天地が逆転し、屁理屈が主で感受は二の次

幽界(外国)御魂に堕ちた日ノ本

月が日を隠し捻じ曲げる




再来年の七夕に 天王星はふたご座へ 岩戸開きは仕舞なり



逆立ちしたまま溢れ来る 現象の波にさらわれて

それが何を物語るかは 天地逆さではわかりはせぬ


月夜の中の暗がりで 目開きと目闇が分かたれた

岩戸開きたる日の眼(まなこ) 岩戸閉じたる月の眼(まなこ)

屁理屈で曲げられるのは人の頭の中だけ

自然は屁理屈では変えられぬ



いまだ屁理屈捏ねまわし なんとかなると思いしが

気付けば泥船 舵をとれども 思うようには進まぬばかり

理屈を捻って捏ねまわしても 現実世界は在るがまま在る



岩戸開きた目開きには 在るがまま在る現実友に

春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪冴えて冷しかりけり

自然と共に在るがまま 神を友に在るがまま




天照らします日月の神と 成りませ天地を照らし出す

鼻の素戔嗚 端(ハナ)開く

神人友の世の花咲かす

弥勒を示現す花(端)開く

開いた花を愛(眼)でらるは

岩戸開いた眼(まなこ)だけ



高天原の大歓喜 高天原の示現の歓喜

高天原に不要のものが 祓われゆく様 示現する

祓われた先に現れる 弥勒菩薩の高天原

神世とこの世の合わせ鏡



自分の足元しかと見よ そこは高天原であるか?

自分の周りをしかと見よ そこは高天原であるか?

自分が握っているものを見よ それは高天原にあるのか?




月読命はご隠退して 右目だけでは闇なるに

いまだ屁理屈捨てられぬ 握った屁理屈 舵と為し

泥船漕いでどこ行くか? 二年先には水の底




天国(あめつち)照らす日月の大神

素戔嗚り響く示現の大神

二神の御子 十柱 対になりて五柱

五元 五体 五臓を治め 語源を基へ返し行く

五感は日へと昇りなし 月を照らして言紡ぎ

天地調和し示現する世界

神と人が友愛(ともなる)世界




五感を磨け 五体を磨け 五臓を磨け 語源を磨け

御魂磨きは日々の積み重ね 一糸を重ねて機と成す

自らの身を羽衣と成し 神の衣装(意匠)となれるまで磨け

神と人が友愛(ともなる)世界

色不異空 空不異色

神不異人 人不異神

色即是空 人即是神

磨ききれば五感冴えわたり 神がその身に映りくる

映り来れば高天原が その身に示現されたりて

次元を超えたる高天原が 重なり神世と人世一致す



次元の垣根は人の垢 目垢耳垢肌の垢

五感を鈍らす垢磨き 祓い清めて禊ぎなば

風のそよぎに御言を聞いて 空の響きに神を知る

草木を分ければ八百万の神 語りて明日へ道しるべ

鳴門を渡る手放しの船 神風に乗り進むだけ

弥勒世界を渡る船 次元を超えて重なる船




神が居るのは現実の中 頭の中の仮想に非ず

高天原は現実の中 頭の仮想世界に非ず

五臓(イクラ)六腑(ムワタ)に七桜(チャクラ) 五六七(みろく)世界の要石

身玉磨きは御魂磨き 高天原の御魂となるまで・・・





癒奏術・響庵ブログ

神人一致の理を実現する「響庵」のブログ