『救い無き世界は、救いようのない世界』 《癒奏術・奥宮》




救いのないこの世界は 神の目から見たならば

救いようのない世界であって だから救われぬことになる


勇気とは何ぞや?


恐れを克服する心?


恐れとは何ぞや?


思いに留まり続けたままで 恐れの中に居ないまま

ああだこうだと妄想し 曇った心で堂々巡り

自分が立つ瀬がないものか 逃れるすべはないものか

考えあぐねているうちに 時が過ぎ去ることを知り

そのうち時が過ぎてゆくのを 心を凍らせ待っている



思いに留まり続けながら 喜びだけに浸りゆく

悲しみから逃げれば 恐れが何かもわからないまま

正しく怒りも発せずに 真の喜び知らぬまま




思いから 喜びへ向かい 怒りへと進む

逆さま世界の逆流が 陰陽五行の巡りを逆巻く

五行相生相克(そうせいそうこく)は 相乗相侮(そうじょうそうぶ)と逆転し

他人を侮りマウントし行く 逆さの流れの中にある



思いが喜びばかりを求め 喜び終わりて怒りを発し

思いのうるおいカラカラにして 再び喜び追いかける

悲しみと 恐れから逃げた 成れの果て

乾きた世界で乾いた咽喉を 潤すために喜び求む

されど喜びは『火』である 『火』で乾きは潤せぬ

潤せぬから怒り出し 思いを『ガス(気)』で充満させて

火をつけ再び喜びに浸る 火炎地獄の餓鬼の道



悲しみを凍らせて 恐れる心を遠ざけて

逆さま世界の奔流は 火を起こすために木を切り倒す

砂漠となり行く業(カルマ)の巡り 育む水の無き世界




勇気とは 思いの妄想を鎮める 不動の心

悲しみを 腹の底に沈めて 憤怒の業火で炎を灯す


思いの真ん中に愛が無ければ とうてい出来ぬことなれど

真ん中に愛が鎮まれば 自ずと回る 五行の巡り




愛無きゆえに逆流し 愛無きゆえに救い無く

愛無きゆえに神は無し 愛を殺すが神殺し


岩戸塞がれ幾千年 愛と情けをすり替えて

金剛の珠を水珠にされ 珠は揺れて動いて立たず

身口意はバラバラに 意が情けなら 口も身も情け


情けの水に溺れ行くから 火ばかり求める羽虫のように

喜びの火に群がりて 火が消えたれば怒り出す

逆さの巡りの業の中 愛に至らぬ巡り繰り返し

喜びが愛と勘違いする 情けで曇りた思いが見せる




怒りも 喜びも 悲しみも 恐れも 愛の柱を経巡る思い

正しき巡りが無くなれば 穢れが浄化されること無し

怒りと喜び繰り替えされば やがて「木枯れ(穢れ)」となるだけである

「木枯れ(穢れ)」たところに喜びの火無く

思いは乾いた「炭」で積もりて

思いの大地に潤いは無く 乾いた大地に乾いた咽喉の

餓鬼の世界が出来上がる



蜘蛛の糸を垂らしたれども 餓鬼の目には映らぬばかり

火を燃やす木を追い求め 怒りと喜び行ったり来たり

やがてどちらも無くなりて 途方に暮れる時が来る

その時までは改心出来ぬ 血眼の目は喜び求め

悲しみ恐れから逃れて 悲しく恐ろしい大地を

歩いていることさえ気付かずに 思いに囚われた餓鬼道





救いたくとも救えぬ世界 蜘蛛の糸は出雲の意図ぞ

出雲の意図は神の糸 我善し御魂が掴んでも

枯れて消えゆく糸なるぞ


救われたくばまず救え 悲しみ恐れて憤怒せよ

心正しく巡らねば 真ん中の愛は見つからぬ

眼(まなこ)を開き左目の 天照らします神の目で

五感すべてで真直ぐに 見ざれば心は正しく巡らぬ 

五感に宿る伊都能売の 姫(秘め)神大切にせねば巡らぬ



救い無き世の救いの神は 差し伸べられる救いの手

現世に身体を持たぬ神の手 人の手以外にあるまいに


救いが無いのは救わぬからぞ 救いの手を差し伸べぬからぞ

神が唯一救えるものは 救いの手を差し伸べるものだけ

救う心の真ん中に 誠の愛の柱在り

誠の愛の柱の中に 出雲の意図在り 蜘蛛の糸在り





ひふみ神示 春の巻 第七帖

ことわけて書きおくから、迷はんように。人民の理(ミチ)歩んで呉れよ。何も彼も嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのぢゃ。不足ないのぢゃ。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組ぢゃぞ。と申しても、心で判っても、今の人民には判るまいから、更にこと分けて、こまかに説いてきかすぞ。理(ミチ)しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理ぢゃ。人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ。いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ。それを育てることぢゃ。導くことぢゃ。死なんとする人助けるのもその一つぢゃ。宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ。今の人民 九分九厘は死んでいるぞ。救へ、救へ、救へ。おかげは取りどくぢゃ。生かせよ。生かせよ。生かす理(ミチ)は神示よむことぢゃ。